子供が産まれて考えたこと

2019年8月、オギャーという声とともに長女がついに世の中にやってきた。

手術室の中、医師と看護師に囲まれての帝王切開だった。
立ち会い出産だったので、夫である僕はへその緒を切らせてもらった。あまりの緊張で手が震えて、看護師さんにちゃんと切ってくださいと叱られた。

ホヤホヤの彼女をいの一番に抱かせてもらった。
体がコチコチだったから、うまく抱けたのかどうかは怪しいところだが。

印象的だったのは、子供が声を発した瞬間の妻の涙だ。あとで聞いたところによると、緊張の気持ちもあったので、喜びと安堵が入り混じった涙だったのだろう。僕は「ありがとう」「とっても元気な子だよ」ということを言いながら、彼女の手を握っていた。

その時に強く感じたのは、母親の偉大さと父親の無力さだ。子供が産まれた瞬間に心に浮かんだのは、喜びの感情よりも心配の感情だった。

「ちゃんと息しているかな?」
「五体満足かな?」
「パンちゃん(妻)の容体は大丈夫かな?」
なんてことばかり頭によぎった。

「案ずるより産むがやすし」なんて諺もあるが、産むことができない父親は案ずることだけでもいっぱいいっぱいだ。
僕の場合、子供が産まれた時に起きた一番の出来事は、とっても心配性の自分が現れた、ということだった。

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