戻れないお金

会社の昼休憩、コンビニで弁当を買う。500円くらいだろうか。飽きもせず毎日買っている。ここの弁当は食べ尽くしたと思う。
トンカツ弁当、幕の内、親子丼に麻婆丼、更にラーメンの類もあるか。どれも美味しいと叫べるほどのものはない。好きなもの、と言われるなら弁当系だろうか。もっさもさの食感だが色んな食材が入っている。それだけで十分。


今日は鮭弁当。レンジで温めてもらい、奥のイートインスペースに向かう。細かい点は気にしちゃいけない。
3人の会社員が先に座っていた。誰一人知らない顔。だけどほぼ毎日見ている。彼らもまた同じ穴の狢なのだろう。
誰とも隣にならない席に座って袋を開ける。毎回の如くもったいないなと思いつつも断る気にはなれない。というより断ろうとしたときには既に用意されているからだ。
弁当の蓋を開けて、一発目。少ししっとりとした米の香り。鮭とちくわとたくあんと。ほんの少しのポテトサラダ。それだけしかない。でも500円。なんとも言えない気持ちになる。
箸をとって心の中でいただきますと呟く。米を口に運ぶ。毎日の食べ慣れた味。量産型の家庭の味。美味しくない、わけではない。

イートインスペースに入る足音がする。たくあんを食べながら音の方を振り向く。
制服を着た男子高校生。この近くの学校だろうか。プライベートブランドのカップ麺を持って椅子に座る。すぐ近く、横目で見れる距離。
種類はシーフード。鮭もシーフードだし種類としては一緒か。米を食べながらそう考える。カップ麺の蓋が開けられる。
シーフードカップ麺の香りが私にも到達する。他に形容し難いカップ麺の香り。果たして鮭弁当にここまでの力はあったのだろうか。

シーフードの香りとともに鮭を食べる。なんだか新鮮になった気配がある。食べているものは変わらないというのに。
弁当の米が消える頃、高校生はスープを飲み干していた。食べるのがとても早い。同じ年の頃はこんなに早く食べることができていただろうか。
いや、問題点はそこじゃないのだろう。今の私は1分1秒を争う年ではなくなってしまった。ああ、これがもう経験することのない青春の一欠片か。

弁当を食べ終わる。全てを袋に入れてそのままゴミ箱へと捨てる。イートインスペースは静かになっていた。
カップ麺の5倍の価値が鮭弁当にあるのだろうか。そんなことを考えながら、会社に戻る。明日の昼ご飯は久しぶりにカップ麺でも食べようか。そう思うと一日が乗り切れるような気がしてきた。

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