走り出すための準備。
上体を起き上がらせ、足を踏み出す寸前だった。
それを注意して押さえつけた。
まず上半身を、そして下半身を、そして最後に頭を。
行かなければ、それは焦燥と呼ばれるもの。
早く行かなければと暴れていた。
遅れを取り戻そうとして。
進まなければ、その気持ちが体と連動していた。
たしかに考えてみれば自然なことだ。
心の「進もう」という意思に体は呼応している。
ただ一つその調和を阻むものがあって、それは私の理性だった。
理性は「ここに居ろ」と訴え続けていた。
これが私なのだ。
なにかギザギザしたものを心が叫ぶ。その無音のギザギザを体が拾い上げ言葉にしようとする。丁度ここに喉があったから、丁度私の体があったから、丁度私だったから。
そんな偶然の重なりを私の理性は否定する。殺してしまう。
私はここで不安になる。
押さえつけたものたち、言葉にもならなかったものたちこそが、生まれてくるべきものだったのではないかと。
苦労して作った今なんかよりも、よっぽど。
自然に調和されたものを歓迎するべきものだったのではないか。
私は不安でいる。踏み潰していったものの中に、二度と取り返せないものがあるかもしれないこと。
それこそが私だったのかもしれないこと。


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