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10.男の子みたいに強くなりたかった。

関西で生まれ育ちました。生粋の関西人です。父の仕事の関係で生まれて間もなく、遠い地方で少し暮らしてから関西に戻ってきました。

寒い冬に生まれ、兄弟はおらずひとりっ子です。お客様には、「男兄弟がいるでしょ」とよくいわれます。どうやらひとりっ子には見えないようです。

動物が大好きでペットを飼っていました。猫、鳥、小動物などいろいろ。

祖父母が、もともと鳥を飼っていたんです。小学生高学年のときに同居することになりました。団地で暮らしたり、マンションで暮らしたり、一軒家で暮らしたり、いろいろあって祖父母と一緒に暮らすことになったりと、環境のよく変わる生活をしていました。

おかげで転校を二回も経験しているので、そのたびに友だちががらっと変わり、いろんな人と関わり合えた気がします。昔から人見知りはなく、性格も明るくて自己主張が強い。うるさい女子でした(笑)。

家族5人とも仲はいいんですが、これまたそれぞれの自己主張が非常に強く、よくケンカもする家族でした。

男の子みたいに強く、やんちゃになりたくて負けたくなくて、習いごともスポーツばかりでした。とにかく強くなりたかったんです。

学校でも目立ちたがりで、先生に反抗したりすぐ手を挙げて発言したり、主張が強くうるさいのでよく怒られていました。

「大きくなったら何になりたい?」という定番の質問には、「漫画家!」と答えていました。歴史が大好きで、歴史上人物の漫画をよく描いていました。

小学生のころは、同性愛を意識したことはなかった気がします。

●家族のこと

母は、あまり怒らず好きなことを自由にやらせてくれるタイプでした。いつも音楽を聴いて料理をしていました。少し天然で、おとぼけなところがあります。手料理が格別においしいです。いまでも実家に帰るとご飯が楽しみなんです。

父は、自由人。私のやりたいことには、なんでも賛成してくれました。父自身の兄弟と争いが絶えず、いつも何かにもがいていたように見えます。人一倍負けん気が強い父でした。

父は自分の仕事に夢中で頭がいっぱいなので、そこまで家庭を顧みるタイプではありませんでした。亭主関白なんですよね。仕事以外は何もできない、しないタイプです。母に頼りっきりです。母の献身には頭が下がります。

祖父は、なんでも自分で作ってしまう人でした。技術者だったので手先がとても器用で、家の修理やモノづくりなど、いろんなことをすべて自分で作り上げる人でした。

何よりも祖父、父ともにお酒がとても好きでした。その血は確実に受け継いでますね!

祖母は、底抜けにやさしかった。何においても必ず自分のことより家族のことを先にして、自分は余りものをいただけばいいという人でした。出しゃばることが嫌いで、控えめ。家族のなかで一番自己主張が弱いひとでした。いま思えば、きっと人見知りをするタイプだったんだろうなぁ。

●幼いころの思い出

一緒に住む以前は、週末に祖父母に会いにいっていたこと、会いにきてくれたことが印象に残っています。初孫だったので、ちょっと溺愛気味だった気がします。

外に出ていろいろ挑戦することが好きだったので、町のお祭りに積極的に参加していました。いまでも盆踊りや祭りが大好きです。

同居後は祖父母の生活習慣にワクワクでした。家族の行事で好きだったのが、お正月の餅つきです。つきたては、最高においしい! 毎年、お正月が楽しみでした。

家族との思い出で印象的なのは、大型ショッピングモールに行くことでした。1週間分の買い物をするのが楽しみで、週末が待ち遠しかったです。トイレに行くのを我慢してまで楽しんでいたため、いつもぎりぎりで祖父を呼んで担いでもらい、走ってトイレに行ったのが懐かしいです。

父が映画好きだったので、よく一緒に映画に行っていました。いまだに映画好きなのは父の影響でしょうね。

小学生のときよく集めていたのが、筆箱です。いろんな筆箱を持っていました。小物や道具がめっちゃ好きでした。

当時はファミコン全盛期、アニメも大好き。ローラーブレードなんかも流行っていてよく外で遊びました。女の子とままごとするより、外で遊ぶ方が好きでした。

自分のことをまだまだたくさん書きたいんですが、正直身バレが怖くてこれくらいが限界ですね(笑)。もうちょっと深い話や突っ込んだ話は、やはりお逢いしたときにいろいろ話せたらうれしいです。

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