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人の気持ちを想像するのに疲れた

嫌われることからの逃げ道

私の父親は、厳しい人だった。私が幼い頃から、部屋が散らかっていたり、食べ方が汚い、ということで何度も怒られた。

今思い返してもさすがにおかしいだろと思うこともいくつかある。例えば、棒付きアイスの袋を棒じゃなくアイスの方から開けた時は、「なんでそっちから開けるんや!」と怒鳴られたし、クリスマスプレゼントにNARUTOのチャクラが欲しい(子供らしくて可愛いと思うのだが)と言った時は、「お前みたいなやつが人殺しになるんや!」と罵られた。

そのようなことがあったために、私はどうすれば父親に怒られないようになるかを考えて行動するようになった。父親が帰って来る前に部屋を片付けておくようにしたし、真面目な良い子ちゃん風の発言をするようにした。

しかし、気をつけて行動していても、機嫌次第では父親の地雷を踏み、逆鱗に触れることも多々あった。そこで、行動や発言をする前には、父親の感情を想像するようになった。今日の機嫌の良さだったらここまでは許される。今日は何もしちゃいけない。といった感じだ。

初めは父親に対してだけ気を使っていたが、年齢を重ねるにつれ、友人にも気を使うようになった。どうやら自分は元来人の気持ちを想像するのが不得手な人間らしく、友人の気持ちを傷つけてしまうことも少なくなかった。次第に友人に対しても、「これを言ったら傷つけてしまう」「こうしたら嫌われる」というようなことを常に気にしながら行動するようになった。私にとって想像は、人から嫌われることからの逃げだった。

人の気持ちを想像するのに疲れた

しかし、もともと人の感情を想像することが得意ではないため、人に気をつかうのは精神的に大きな負担がかかる。特に、SNSやSlackのようなオンラインでのメッセージツールでやり取りをする時は、より一層の負担がかかる。

なぜなら対面では読み取れる表情や声といった情報まで想像しなくてはならないからだ。私のように想像力の乏しい人間にとって、文字情報のみで感情を想像することはとても難しい。かと言って、想像を怠れば誰かを傷つけることになったり、バカにされてしまうかもしれない。そんなストレスと闘いながら日々を過ごしているうちに、人の気持ちを想像するのに疲れてしまった。

想像しなきゃという思いと息苦しさのせめぎ合い

先日、テラスハウスの出演者である木村花さんが、SNSでの誹謗中傷で気を病み、自殺してしまうという悲しい出来事が起こった。

彼女が亡くなった後、「誹謗中傷は悪だ」という風潮が世間を賑わしている。私も、誹謗中傷をする前に少し立ち止まり、「この言葉を受けた人はどうなるのか?」「相手の立場に立ったらどう感じるのか」を想像することができれば防げたのではないかと思う。全ての誹謗中傷がなくなるとは到底思えないが、誹謗中傷の数は減ると思うし、誹謗中傷ではなく意見や応援の言葉に変わっていたかもしれない。

しかし、SNSという本来自由であるべき場で、自分の言葉に制限をかけなくてはならないのは窮屈になるのは間違いない。私自身ももう人の気持ちを想像するのに疲れてしまっている。仕事中も、プライベートでも、常に「想像しなきゃ」「良い人間でいなきゃ」という思いと、自分の言葉をストレートに発することができない息苦しさの間でもがいている。

堀江貴文さんや西野亮廣さんのように周りを気にせずストレートに自分の意見を発信する方が人気であったり、『嫌われる勇気』が流行ったりしているのも、息苦しさの反動なのかもしれない。

自由で優しい世界

自分の意見を自由に発信でき、なおかつ人が傷つかない世界を実現することはできるのだろうか?

もちろん、どちらも完全に両立することは難しい。が、少しでも改善できないだろうか?

私は、ネックになっているのは息苦しさのほうだと思う。自分の考えや感情を素直に表現できないストレスで心に余裕がなくなり、他人の行動や少しの失敗に過剰に攻撃的になってしまう。なので、息苦しさを改善することが、自由で優しい世界への第一歩になる気がする。

では、どうすれば自分の考えや感情を素直に表現することができるだろうか。私は、世の中に溢れる「これをしないとヤバイ」ものが自由に悪影響を及ぼしていると思う。

例えば、
・勉強をしないとヤバイ
・英語が話せないとヤバイ
・筋トレしてないなんてヤバイ
・コミュ力がないのはヤバイ
というようなことだ。

本来これらをしていなくても何もヤバイことはなく、その人の価値が下がることはない。東大卒で英語がペラペラのエリートマッチョと、アフリカの奥地に住む原住民の人々、どちらが正しいですか?どちらが人間としての価値が高いですか?少し極端な例ですが、人間としての価値に差はないはずだ。

しかし、日本をはじめとする先進国では、「これをしないとヤバイ」系のことが世間にあふれていて、できていない自分に劣等感を感じる人も多いと思う。できないという焦りから、他人を攻撃し、人の上に立とうとする。

ありのままの不完全な自分を認め、愛せる人が増えることが、自由で優しい世界への第一歩となるのではないだろうか。


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