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面白い映画は選ぶ前から始まってる

「面白い映画って何よ」と言われても、一言ではなかなか答えられない。
最近は映画を見るのもあまりポピュラーな趣味とは言えなくなってきていて、仕事の場で話を聞いたりしても、多くの人が「1年に数本見るか見ないか」というテンションだったりする。
だから、人にオススメできる面白い映画というのも、その人の趣味や傾向や熱量によってものすごくバラつきがある。自分が面白いと思ってオススメしても、他の人にはつまらないと感じてしまうかもしれないのだ。

僕は、かつて映画の世界にどっぷりハマってしまったので、その頃と同等の熱量とは言えないまでも、今でもそれなりに映画が好きだ。
以前は年間100本以上見るのが当たり前だったし、その作品群の中には当然“つまらない映画”と言われるものもあった。
「つまらない映画を見るのは時間の無駄」という考え方があって、それもまあ理解できなくはない。2時間近くじっと画面を見て、自分の中に何も残らなかったら、本当に時間の無駄だなと思う。

ただ、僕は今まで見てきた、タイトルも思い出せないような映画の鑑賞も含めて「時間の無駄だった」と思ったことはないと思う。
というのも、例えばアメリカ映画を見ていたら、何かしら自分が知らなかったアメリカのことを知ることができたりするし、主人公が自分の期待とは違う行動を取ったりしたら「なんでこんなことをするんだ?」と疑問に思い、頭の中で映画の制作スタッフと喧嘩したりするし、「ここをこう直したらこういう展開にもできるのでは」と自分の頭の栄養にもなったりするからだ。
「芝居が気に入らない」とか「展開が平凡」などの感想を持っても、それは「イコールつまらない」ではない。自分の見方次第でいくらでも楽しみ方はある。

「そうは言っても、映画なんて、必ずしもアレコレ考えたりできる作品ばかりではない」と、そう思うかもしれない。
しかし、だとしたら、その映画を選定する自分のやり方が間違っているのだ。映画を見る時は、ランダムガチャでポンといきなりアタリの映画・ハズレの映画を見るわけはない。タイトルやポスター、パッケージ、キャッチコピー、映画のジャンル、監督、出演者など、自分が選ぼうと思えるだけの材料はたくさんある。
それなりに予算もかかっている映画で「ゾンビだらけの街に取り残された、生き別れの妹を救い出せ!」とかあらすじで言われたら、それだけでいかにも面白そうだ。
その他にも、その映画と出会ったきっかけという不確定要素もある。そういった縁も自分の楽しみの足しにしてしまえばいい。

僕は、大学生の頃に『鉄男』(1989年:塚本晋也監督作品)という映画を初めて見たのだけれど、それまではその映画のことも塚本晋也監督のことも全く知らなかった。たぶん名前だけ言われたのなら興味を持てなかったかもしれない。
しかし、当時の同級生達が爆音映画祭という企画でその作品を見に行くという話を聞き、僕はお金が無くて行けなかったので、悔しくて悔しくて、その日のうちにレンタルDVDで『鉄男』を借りてきて鑑賞したのである。

まだまだガキだった僕にはめちゃくちゃ新鮮な体験だった。
「なんで、1989年の映画なのに白黒なんだ?」
「え、“てつおとこ”じゃなくて“てつお”なんだ?」
「え、この人は自分の足に何をしてるんだ?」
「どうしてこの女の人は追いかけてくるんだ?」
「なに、この男は、この映画の監督なの?」
「それにしても田口トモロヲさん若!」

画面内では常に分からないことだらけ。しかし、映像がしっちゃかめっちゃかなのにスタイリッシュ、音楽もガンガンうるさいのにずっと聴いてると味が出てくる。
視聴し終わった後も、ホァーっという顔をして呆然としていた。
今でもその時の感覚を味わいたくて、たまに『鉄男』を見たくなることがある。僕の映画体験はこんなことばかりだ。

本当につまらない映画を見る時というのは、映画を見る気分でもない時に、見たくもない映画を見る時だ。
例えば、周囲の話題に合わせるために「作品を倍速視聴しよう」などと思ったら、もうすでにつまらない。初めから負ける可能性の高いギャンブルをしている。

本当に面白い映画を見たいなら、選ぶ時に自分の中で「こういう作品が見たい」という期待と「何が出てくるか」というワクワクを備えておいたらいい。そして、実際の映画を見ながら、頭の中で自分が見たいと思っている理想の映画も一緒に再生する。
期待を上回っていれば素直に喜べばいいし、期待と違うものだったら、自分の考えた面白いものと比べて怒ったり悲しんだりすればいい。
自分も一緒になって一喜一憂することこそが、本当に楽しい映画体験になるはずなのだから。

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