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帰り着いてからの「悪態」という名の「擬態」

近くの大手運送会社の台車運びを夜中にやってみた。
アルバイトだ。
15分休憩しかないのに、6時間。
暑さが半端ない。もちろんだが空調などない。
丁寧にレクチャーしてくれるはずなのだが、ぼんやりとしたことしか言わず、それぞれのバイトが適当なことを断片的にしかいわない。
まあ肉体労働なのだからその程度のことどこでもあるんだろうが、それだけの大手なのに、何一つマニュアルめいたものがなく、
補助線もはっきりとは引かれておらず、とにかく一日タイミーがらみだったのでなんとかやりきったが、帰宅途中、昼間の高温によってあたたまったうだる夜風を前にして、ぬるまったペットボトルの水を飲もうと口元を覆っていたマスクをはがすと、アスファルトにたたきつけてしまいたくなった。

そういうことだ。
今後は、空冷の効いたところへ行くつもりだが、また近しいバイトがあればやるだろう。別のところで。

実家の一階に積み重ねてあった段ボールは、数個ずつ二階に持って上がり、ほぼ片付いている。
段ボールは二階の和室にたまっていってはいるが、いずれは整う予定。
もっと処分してくればよかったんだろうけど、
これ(本、資料、文具なぞ)ばっかりは捨てきれない。

私はこの和室で今後メインで生活する。
ただ、クーラーがまだ設置されていないので、なるべく格安のそれをいま探している。
そしていまそのクーラーの効いてない和室でこれを書いている。

暑い。
本当に暑い。
町の運営する銭湯施設がメインの駅近くにあってよく通っているが、330円で入れるのが嬉しい。
数日前、銭湯の故障があって、入浴料金がタダになった。何回かタダで入った。すごすぎます。

隣が町の図書館なのだが、これがけっこう優秀。
『恐るべき緑』が新刊のコーナーに置いてあって飛びついた。

きょうなんて、銭湯で汗ばんだ体を冷やすのに図書館の備え付けの座椅子に腰かけて扇子で仰いでいたら、棚の上段に『世界の名著』、『日本の名著』がずらりと並んでいたし、『新潮世界文学』も全巻並んでいるのを認めた。

後半生のひとつの目標として、いままで触れてこなかった古典にあたるというのがあるが、これは、この図書館で結実できるなとか思って、下の棚をみたら『鬱の本』が置いてあったので、めくってみた。

書き手に海猫沢めろんさんがいて、あかんときはシオランを読んでますって書いてて、
「あ、ワシそういえば、シオランの『生誕の災厄』を買ってあったわ」と思いだして立ち上がったのだが、
いや、それより前にまず今年は石牟礼道子『完本春の城』読むと宣言してたがなとか、わんわと思い起こされて暑い中立ち上がって100円バスに乗って別の場所へ移動。
田舎だけど、田んぼとか山とかを見ると落ち着くなあ。

移動中とか、ベローチェ、タリーズにいつものように座っているときには、
今ジェイムズ・ホッグ『義とされた罪人の手記と告白』を読んでいる。
もう半分くらいまで読んだ。
こうしてまたまた長編は読むのが遅れていく。
さらに積読本は、手にした瞬間の感覚がまさる。
なのでマルコス・アギニス『マラーノの武勲』を次に読むかもしれん。

帰ってきて何よりうれしいのは、24時間営業の資さんうどんが近くにあることだ。
そのせいか、体重が二キロほど増えてしまった。
小麦粉…。


珈琲と岩茶と将棋と読書と、すこしだけ書くことを愛する者です。