人間の価値の墜落

インフレによるお金の価値の下落

ドイツの文学者ゲーテが書いた『ファウスト』を見ると、ファウスト博士は、永遠に続く喜びの瞬間を作ってくれるなら、自分の霊魂を売るという内容の契約を悪魔メフィストフェレスと結ぶ。すると、悪魔メフィストフェレスは「天国から送ってくれた葉」だといって、無数の紙幣を印刷して、人々に爆発的な喜びをプレゼントする。しかし、それは束の間の喜びにすぎず、結局、人々は社会的混乱に包まれ、わびしく死んでいってしまう。このようなことは現実においても起こった。

第1次世界大戦敗戦後、連合国はドイツに国民所得の2倍に相当する戦争賠償金を請求し、ドイツ政府は戦争賠償金を支払うために莫大な紙幣を印刷するしかなかった。すると結局、3ヶ月も経たないうちに、ドイツの物価は35倍にも上昇し、1年後には1475倍、間もなく1兆倍に上昇した。切手1枚の値段が一日で車1台分の値段になってしまったのである。

人々は店が閉まる前に物を買うために押し合いへし合いしなければならなかったし、翌日、再び開店する時には前日受け取ったお金はすでに使い道がなくなり、燃料として使わざるを得なくなった。さらには、カートに札束がいっぱい入っていても、人々はお金は置いてカートだけを持って行った。政府は、企業を救うために497,000,000,000,000,000,000(4垓9700京)マルクを融資した。ドイツの新聞は、「0の衝撃」という新種の病気が出現したと報じた。

このようなインフレは、お金の価値だけを下落させたわけではなかった。社会的に死亡率は高くなり、出生率は下がり、乳児死亡率は21%に達し、大人の自殺率も急上昇した。インフレが経済的な虐殺をもたらしたのである。結局、これが原因でドイツの中産層と労働者階層では政治的急進主義が台頭し、10年も経たないうちにアドルフ・ヒトラーが政権を握るきっかけにもなった。

韓国の場合も、1866年、大院君が景福宮を再建するために當百銭という貨幣を発行したが、當百銭は常平通寶(訳注:李朝時代の鋳貨の一つ)より額面の価が100倍も大きかった。結局、物価が急騰して當百銭は何の役にも立たなくなり、それで人々は當百銭を「びた銭」と呼んだ。「びた一文ない」という言葉は、ここに由来したものである。インフレは、私たちをびた一文ない人生にしてしまうこともある。

人間の価値の墜落

一つにはインフレはお金の価値を落とすのだとしたら、人間の価値を落とすことは何だろうか?いくつかあるだろうが、それは人間の堕落ではないかと思う。神様が人間を根本の愛の対象体になさろうと創造なさったが、人間が堕落すると、その価値は捨て値になってしまう。堕落して、私たちの霊魂が死んでしまったら、果たして残った肉体の価値はどのくらいになるのだろうか?

米国の生化学者ヘラルドモロヴィッツは、製薬会社の価格表に基づいて、人間の価値を算定したところ、赤血球1グラムで7マルク50ペニヒ、タンパク質1グラムとリン酸1グラムで500マルク、プロラクチンホルモン1グラムで4500万マルクになると報告した。その場合、体重が65キログラムの人は、体重から水分を抜き、相場変動やその他の費用を控除したら、1200万マルクの原料価値を持つことになるという。これを韓国ウォンに換算すると、約72億ウォンほどになる。それでもこれはかなり高く見積もった計算である。

過去、西ドイツの雑誌『Neur Revue』は、人間の価値を次のように計算した。一人の人間の身体に入っている元素をナトリウム、カリウム、リン、硫黄、カルシウム、塩素、マグネシウムなどに分けて、これらの市場価値を計算し、ここに脂肪と水分の価格を足したところ、人間の価値はわずか88ペニヒであった。現在の韓国のお金で約528ウォンになる。

また、第2次世界大戦当時、ナチスのある研究所で人間の体を元素別に分解する実験をしたことがある。その結果、普通の成人男性の体から出てくるのは、一握りの塩と砂糖1カップ、金釘一本を作ることができるほどの鉄分と97リットルの水が全部だった。これらを価格に換算すると、現在の価格で約3,300ウォンの価値があるという。結局、人間の堕落は人々をせいぜい528ウォン、3300ウォンの価値しか持たない人に転落させてしまうのである。

ところが、実は人間の価値は、値を付けることができるものではない。鄭明析牧師は貯金通帳の数千億ウォンより人間が宝であり、人間の中にお金も富・栄華もすべて入っているから、人間が最も貴重な存在だとおっしゃった。牧師は過去に伝道する時、お金があってこそビラもつくってできるのではないかといって、お金を下さいと祈った時、いくら祈っても、お金を下さらなかった。悟ってみたら、自分自身がお金だということに気づいたそうである。

このように、私たちはお金を払って買うことができない無限の価値を持った存在である。ところが、堕落すると、唯物論者の計算通りに格安の人生になってしまうのである。価値ある存在として、価値ある人生を生きたい。

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