「言葉」が特別になる3つの方法

最後の言葉だと思って

第二次世界大戦当時、ある少女が家族と一緒にアウシュビッツ収容所に連れて行かれ途中に起きた実話だそうです。収容所に行く汽車の中で、ふと見ると、たった一人の8歳の弟が靴の片方を失くし、片足が裸足のままぼんやり立っているのです。かっと怒って「どうして自分の靴一つもろくに持って来られないの?」と声を上げてしまいました。

しかし「ああ、神様!」誰が分かったでしょうか。
それが、この世で愛する弟に言った最後の言葉になってしまうことを…

そのようにして別れた弟は、結局アウシュビッツ収容所から生きて出て来られなかったのです。結局、弟と親まですべて失い、一人奇跡的に生きてアウシュビッツから出て来た彼女は、本当に骨の髄まで刻まれた痛みによって、歯を食いしばって決心したそうです。「誰に話すとしても、その人に話す一生の最後の言葉になるかもしれないから、恥ずかしくない言葉だけを話そう」ということを。

私だけの話として独創的に

風のように去っていくとしても、いつでも私は忘れない
ライラックの花の香を放っていた日、校庭で私たちは出会った
雨が好きで雨の中を散策し、雪が好きで雪道を歩いた
人のいない喫茶店で向かい合って、夜遅くまで落書きもした
夜空の星ほどに多かった私たちの話

- ユン·ヒョンジュ(「私たちの話」より抜粋、編集)

出会った彼と一緒に雨の中を散策し、雪道も歩いて、夜遅くまで話しました。夜空の星ほどにも多かった話、少年はその霊魂にまで深く刻まれた驚くべき愛と感謝の話をいつでも忘れないことでしょう。「私」の話は、ただ私だけが知っている固有の独創的な話です。だから「私が」一番生き生きと伝えることができる話です。

聞く人の話に転換して

地下鉄駅近くのある食堂は、自転車の違法駐車が多すぎて、営業の妨げになる状況だったそうです。「駐車禁止」の札を大きく書いて貼っておいても何の効果もありませんでした。「どうか駐車しないでください」と切実なメッセージにして貼ってみましたが、減りませんでした。そこで「ここの自転車はどなたでもご自由にお持ち帰りください」と書いて貼ったところ、違法駐車する自転車がなくなったそうです。

切実に独創的に自信を持って語ることができる私たちの話をただ私たちの立場から「うまく伝えること」よりも、聞く人の立場から「よく聞くしかないように」伝えなければなりません。私たちの話が、彼らの人生に対してどのような「変化」を与えるものであり、結局どのような「恩恵」になるのかを説明できた時、初めて「生きている話」になります。

イエスが、桑の木の上のザアカイに「今日、あなたの家に泊まる」とおっしゃった言葉、五人の夫がいたサマリヤの女に「あなたの夫を連れてきなさい」とおっしゃった言葉、ガリラヤ湖のほとりでペテロに「その網を置いて私に従いなさい」とおっしゃった言葉、これらの言葉は聞いた一人ひとりの心に響き渡りました。

誰かが、私たちの体は「分子」で構成されているが、私たちの生は「話」で構成されていると言いました。「彼」の話(His Story)があまりにも切実で熱かったので、「私」の話になり、また、他の人たちの話になりました。数多くの私たちの話が、結局、世界の話(History)になることでしょう。

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