個性体の比較優位

ヘラクレスの12の労役

ギリシャ神話のヘラクレス(Hercules)は、ゼウス(Zeus)が妻ヘラ(Hera)に内緒で地上の女と浮気をして授かった息子である。そのため、ヘラはヘラクレスを極度に憎み、結局呪いによってヘラクレスが自らの手で子供たちをすべて殺すようにさせた。

とてつもない罪過を負うようになったヘラクレスは、贖罪のために、ティーリュンス(Tiryns)の王エウリュステウス(Eurysteus)の奴隷になるようにとの信託を受けた。罪を洗い清めたかったので信託に従うことにしたヘラクレスに、エウリュステウスは成功の見込みがない12の課題を投げかけた。これを「ヘラクレスの12の労役(the twelve labors of Hercules)」と呼ぶ。

12の労役は大部分、人食いライオン、獰猛な鳥、ヒドラのような怪獣を退治すること、珍しい動物を捕獲することなど英雄的要素が多かったが、少し変わっていたのが、エリスの王アウゲイアース(Augeas)の畜舎を一日で掃除せよというものだった。見ようによっては、怪物を相手にするよりもはるかに容易に思えたが、千頭を超える牛を保有している畜舎は、30年以上にわたって一度も掃除をしていなかったので、処理すべき排泄物の量は人間が到底手に負えないほどのレベルだった。しかし、怪力のヘラクレスは二つの川を引き入れて一日で掃除を終えてしまった。

絶対優位を持つヘラクレス

掃除という仕事の生産性という観点から見ると、ヘラクレスは人間の中で断然最高だった。それなら、ヘラクレスが別の英雄の道を捨てて、牛舎の掃除を継続する方が良いのだろうか?そうではない。その理由は何だろうか?もし畜舎の掃除夫として働くヘラクレスの姿が似つかわしくないと答えるなら、その答えは全く論理的ではない。それはヘラクレスが掃除夫としてよりは、英雄の仕事に比較優位を持っているからである。

一般的に、ある人が他の人よりもある活動をうまくできる時、その人はその活動において絶対優位を持っていると言う。ある活動を他の人よりもっとよくできるというのは、同じ時間、あるいは同じ費用をかけて、より多くの生産をするということを意味する。

掃除だけでなく、怪物を倒すことにおいてもヘラクレスにかなう人はいなかったので、ヘラクレスは掃除と英雄の仕事において両方とも絶対優位を持っていることになる。しかし、ヘラクレスが英雄の仕事に専念しなければならない理由は、まさに比較優位のせいである。比較優位は、ある人がある活動を他の人に比べて相対的によくできることを意味する。これは、その活動の機会費用が他の人に比べて低いことを意味する。

もしヘラクレスが畜舎の掃除夫として一生働くなら、多くの怪物が人々を悩ますから、その機会費用は非常に大きい。しかし、ヘラクレスが英雄の道を行くことの機会費用は、これに比べて非常に小さい。ヘラクレスが掃除夫にならないからといって世の中が大きな被害を被ることはないからである。このように、他の人よりも相対的によくできる活動に集中しなければならないという比較優位理論は、国際貿易が発生する原因を説明する重要な理論でもある。

ポジティブサム(Positive-sum)ゲームの世界

このような比較優位はただ貿易理論にのみ適用されるのではない。人々は様々な個性体の人間が集まって生きている。互いに外見も違うし、才能も違う。限られた資源を獲得するために人々が互いに競争し、葛藤するうちに、人類の歴史は戦いが存在しない平和の世界、ユートピア的理想世界を描くようになった。聖書でも代表的にイザヤ書11章6〜8節で、神様が理想世界についておっしゃった際、この地に「神様が送ったメシヤ」が来たら、羊とヤギと子牛と毒蛇と獅子が彼を中心に集まって一つになるとおっしゃった。

これはつまり、羊のような人、ヤギのような人、子牛のような人、毒蛇のような人、獅子のような人など、それぞれの個性体が主の中でみんな一つになるということである。イエス様は「従う人たち」を「羊の群れ」にたとえて、自分を「牧者」だとおっしゃった。私たちの中にいる羊も、それぞれ個性通りに存在する。ある羊は水を飲み、ある羊は食べ、ある羊は眠り、ある羊は遊んでいるが、牧者は羊の群れを導く時、全体を一つに集め、安全な檻に入れてやり、その中でそれぞれが「個性」通りに存在するようにしてやるのである。理想世界でないはずがない。

これは、外見も、能力も、才能も、個性もみな違うけれど、それぞれの比較優位を持つ個性体が自分の才能に特化し、自分の才能を発散しながら平和に生きる姿を描いている。それは互いに奪い合うゼロサム(Zero-sum)ゲームではなく、個性体の比較優位が十分に発揮されるポジティブサム(Positive-sum)ゲームの世界である。

結局、競争も異なる個性体が助け合うことが本質なのだ。主の中で個性の光を放ち、互いに一つになりなさいという御言葉こそ、成長の限界に達した世界経済に投げかける1つの答えであるように思える。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?