講義録 遠くて近いパレスチナ4

パレスチナのことを話すのに避けて通れないのはもちろん宗教もありますけど、近現代の外交の歴史が今に繋がっています。まずは近代の話から。ここが現在あるパレスチナ問題の一番の発端だと思います。1917年バルフォア宣言とシオニスト運動。この少し前が第一次世界大戦で映画にもなったアラビアンロレンスの話です。大英帝国がオスマン帝国下にあるアラブ人たちに国家としての独立を約束と引き換えにマンパワーを得るということで戦争します。イギリス対トルコの戦争に協力してくれたら独立する手助けをするよ、というものです。もともとアラブは部族地域であって、国家の概念は近代西洋から持ち込まれて今につながります。そのあと、1917年にイギリスの貴族バルフォア外相がロスチャイルドにユダヤ人国家を作ることを約束します、というお手紙を送ったのですよ、戦争には多額の資金が必要だったので、それと引き換えにです。シオニストというのはユダヤ人の国を作ろう!というムーブメントなのですが本当は今の場所ではなくて色々候補地があったようなのですけど、1つは中国の一部とかも。結局パレスチナ地方、カナンの地が最終的な候補地と確定してしまいました。現代に近づく前に古代のことを考えてみましょう。よくテレビでパレスチナ問題が語られる際にわたしがあれ?と思うのが、ユダヤ人がこの場所の先住民だったという言われ方をすることがあります。何を以って先住民と定義しているのか、それはテレビ局にも色々な専門家や有識者がいるはずですのでそれなりの理論があると思うのですが、元々ユダヤ人はチグリスユーフラテス川付近で発生して西へ移動して行った、というのが定説であり、旧約聖書を考えてみても、エルサレムを目指して戦いを繰り返していっています。そこに元々いた人たちと戦い、時に破れエルサレムにたどり着き神殿を築いたので先住民というと少し違うかなとは思います。

第一次世界大戦はイギリスが勝ち、オスマン帝国から独立するのかと思いきや、イギリスの植民地下となるアラブ諸国。その頃からユダヤ人の入植は始まり、今のテルアビブのヤッファポートに船が着くのです。ヤッファはユダヤ人街となります。今はその辺りはアラブ人の多い地区なのでこの100年での様変わりはもう目を見張るものです。

1945年 第二次世界大戦の終結

1948年 イスラエル建国 と同時に 中東戦争がガザ紛争など繰り返されていきます。

ポジティブなトピックは

1993年 オスロ合意

2012年 国連においてパレスチナ自治政府のオブザーバー国家格上げ承認




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