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Lifta /リフタ 鍵を持って

1938年に生まれた彼女はリフタを今も故郷(帰るところ)だと思っている。

急に車がやってきて、銃声が聞こえたの。そしたらたくさんの人たちが大急ぎで逃げていたわ。他の人たちも大声で叫びながら逃げ惑っていた。叔父はわたしに、ここにいなさいって言ったの、死体を見せたくなかったから。でもわたしは違ったわ、見たかった、知りたかった。多くの人が殺されたり怪我をしていたの。それはメッセージだとわかったわ、ここを去りなさいって。

多くのパレスチナ難民キャンプでモチーフとして描かれている鍵。人々は家にしっかり鍵をかけて、それがちょっとした遠出、数日の旅行のように必ず帰られるものとして家を後にしている。

彼女の一家も同様にほとんどの家財道具は家に残したまま鍵をかけて鍵を持って逃げ出したのだ。その鍵は今も手元にある。いつかのために。

2、3日で家に戻れると思っていたのよ。両親もそう言っていたし。

1948年以前のリフタは普通のそして伝統的な旧いしきたりもある小さい村だった。
誰か女性が村以外の人と結婚するとなったら、村民たちは、あー、彼女は外部の人になったねー、なんて話すこともあるほど保守的で村以外の人と結婚するなんてことは当たり前ではなかった。
それは人々はみんなこの村に残っていてほしいという表れでもあった。
一族は昔ながらにどんどん家族を大きくするものだった。
一家に5人の兄弟、5人に姉妹なんてざらだ。
1948年以前はユダヤ人住民との関係も良好だった。

ユダヤ人のご近所さんがいたわ、一緒に遊んでたし家も行き来してごはんをご馳走になったりしたり。でもね、こんなことがおきて、急にここを去る準備をし始めて、ハガナ(イスラエル国防軍の元となった軍事組織)やギャングのせいね。

リフタには溢れんばかりの思い出が詰まっている。リフタ民にとってはリフタ、それぞれ逃げて来た元住んでいた場所の思い入れ、思い出がある。その村がなくなってしまったとしても。

鍵を持って逃げその下の世代も鍵を引き継ぎ、いつか帰れる日を思っている。




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