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遠近感と人間関係、友達と知り合いの境目

わたしは子供の頃、体育の授業をほとんどと言っていいほど受けてこなかった。外で遊ぶこともしていない。
子供だったわたしはそのデメリットを理解しておらず、デメリットを説明してくれる人もいなかった。

運動が嫌いで体操着に着替えるのも面倒。だからしません!

当時から自分の意見を通す主義であったわたしは体育の授業の前に帰ったり、後に登校したりしていた。

大人になってデメリットが分かった。

遠近感が掴めない。

わたしは視力が弱い上に遠近感がない。よくぶつかる。ボールとか飛んできたものをキャッチとかできない。

扉を開くとかそういう時もドアノブとわたしの手の距離が掴めないから手の甲によく青痣を作るし。

子供の頃、まだ未発達の頃の練習は大人になって響いてくる。人との距離感もそうかもしれない。

わたしは友達が極端に少ない。多分片手で事足りる。でも知り合いはそこそこ多い。(友達が少ないことを憂いてはいない)

ではその境界線は?友達と知り合いの境目って?

ある人は二人でご飯を食べに行ったら友達。
またある人は暇なときに用事がないけど電話できる相手は友達。

友達じゃなくても二人でご飯も行けて、電話が嫌いだから恋人にも友達にも用事がなければ電話をしないわたし。友達って何だろうか?

イベントで会っただけで”やあやあ”と挨拶しただけで友達って言う友達1000人規模の人もいるし、みんな何を基準にしているのだろう?

わたしは確実に友達と言える人が1人いる。スエマツという男だ。
彼とわたしは20歳頃一緒に住んでいた。多分半年とかそれくらい。一緒に住んでいたというか、一緒にある人の家に居候した。二人で遊びに行って居心地が良かったから住み着いただけ。
男女の友情はないと言っていた彼はわたしのことを親友と呼ぶ。わたしも確実に友達だと思っている。
気が合うかといえば別に・・・無言で1日とか一緒に過ごせる。口汚い言葉もこの人の前なら躊躇しない(かもしれない)
頻繁に会うかといえば今は数年に一度。同じ年ではあるが同じ学校だったことはない。

それでも確実に”友達”と呼べる。何が私たちを友達と認定させているのだろうか?


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