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Lifta / リフタ 入植者の話

1948年アラブ人(パレスチナ人)たちが逃げ去って、リフタは空っぽになった。

1950年代、リフタに住み着いたユダヤ人たちはイラク出身者であった。イラクのクルド地区からの移民だ。

それは1953年のことだった。イスラエル政府はイラクから来た人々に家を与えた、それは棲家を与えたというだけではなく、元リフタ住民(パレスチナ人)が帰ってこられないようにするための政策でもあった。空っぽになったリフタにユダヤ人を詰め込み、戻ってくる隙間を埋めるものだ。

そう、僕の両親はイラクのクルド地区からイスラエルに来たんだ。2000年ぶりに、遂に、故郷に戻れた!という感じだったよ。最初は難民キャンプのようなところに居て、それで政府がクルド地区者にリフタをあてがってそれで引っ越しをしたんだ。僕たちが来たころは、電気も水も何もなくて、砂漠みたいだったよ。

ここに引っ越しをしてきたのはみんなクルドからだったからみんな知り合いでここにある建築様式というか家の感じはクルドとても似てたよ。変わらないといけないこともあった、それはそとに働きに出るってこと。1日12時間は働いていたみたい。生活は一変したよ。ここに来た時、みんなヘブライ語は話せなかったんだ、しゃべる言葉はクルド語だったし。
どうしてうちの両親がイスラエルに来ようと思ったのかって?うちはそれなりに裕福だったし、庭にはたわわに実るフルーツがあったからね。
でも、イスラエルが建国されたことでアラブ世界でのユダヤ人の扱われ方が変わってしまったことが大きいかもしれないね。

イエメン、モロッコ、イラク、アラブに住みユダヤ人にとっても1948年は大きな変化だった。

1948年まで両親はイラクから出ようなんて思ってなかったんじゃないかな。でもイスラエルに来たことを後悔はしていないよ。

1965年頃にはリフタの生活環境の悪さに不平が噴き出していた。この一家も例外ではない。そして多くのユダヤ人家族は1967年にこのリフタを去った。

リフタは今後どうなるかって?それはわからないけど、ほら見て。ここは1000年以上の歴史があるでしょ。この石1つ1つ手作りだし、もちろん、アラブ人にとっても思い出があるしユダヤ人にとっても。
1948年以前にも人が住んでいたし1948年以降も人が住んでいた。アラブ人とユダヤ人の博物館になったらいいなと思う。


彼ら(ユダヤ人入植者)は政府から家が与えられたのだが、それは家の所有権が与えられたわけではない。それはリフタだけではなく、パレスチナ人から奪われた家々の所有権はイスラエル政府にあるということである。60年以上住んでいても家を改装することも売ることもできない。

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