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久しぶりの対面講座◯思い出した好きってこと

昨日は久しぶりに対面の講座でした。

よみうり文化センターでの講座だったのでちょっと真面目に歴史的な話も取り入れて美味しく可笑しく時間は過ぎるのです。

質疑応答では必ず聞かれる

どうしてパレスチナに行ったんですか?

きっかけはなんでもないこと、なんでもないことが人生を変える。

私はヨルダンで結婚式に出席して、せっかくアンマンまで来たんだからエルサレムくらい足を伸ばさないとね!くらいの軽い気持ちだった。
なんなら、ついでもついで全くメインの理由ではないの。
早朝アンマンのバスセンターからヨルダン川キングフセインブリッジを目指す。そして国境を越えてイスラエル側に入る。
そこからはジェリコを通って一路エルサレムを目指す。
あの時に空の色、渇いた空気、岩漠のはちみつ色した中に点々と見える羊たち、ベドウィンの集落、海抜マイナス300mから標高800mに向かう。
あのとき、叫びたくなるほど胸を締め付ける苦しい好きな溢れる気持ちがあった。初めて来た場所なのに。
バスの中で隣に座っていたマダムダイラはその後も交流が続いている。
国境を越えて1時間ほどだったかな。エルサレム旧市街のダマスカスゲートの前に着いたのは。
ほんの数時間で時空を超えたと思った。21世紀なのに19世紀も紀元前も好きも嫌いも楽しいも苦しいも全ての感情がある地。
全部ひっくるめて、私の場所はココだとわかった。大好きな場所に出逢ったんだ。

フラッシュバックなのか、デジャヴなのか、憧れなのか、わからない。

パレスチナに足を踏み入れた理由は本当に大した理由じゃなかった。何の使命感もないそこまで大きな好奇心もなくたまたま近所に行ったから。

そんなことが人生を変える。

とにかく愛おしい人たち、大好きな場所、悲しくなる歴史、いま。

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パレスチナの話をするときは顔つきが変わる、と言われる。

楽しくて嬉しそう。

書くことと話すことは全く違うんだと昨日気がついた。
書くだけでは見えない表情、目の輝きが増す。
同じ”伝える”という行為でもツールが違えば結果が違うのか?

コロナ自粛でストレスを感じていないと思っていたけれど、ストレスとはまた違った何かを感じていたというか溜まっていたように思った。

好きを発散するのが足りてなかったんだ。

書くときはできるだけ理路整然と書きたいけれど、アドリブ続出のそれこそライブな講演や講義はそういうわけには中々いかない。その分、その瞬間の感情が言葉に乗って表情とともに現れる。

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別の話

マスクをした講座はかなりきつい。かなり酸欠する。普段外に出ない私はマスクを長時間することに慣れていなかった。頭はクラクラ、途中何話したっけ?ってなることもしばしば。
マスクがある分、いつも以上に声を張らないと聞こえない。ますます酸素が必要となる。
これからオフラインでの講演、講座がどれくらいあるのかわからないけど、今回の失敗は次のステップ。マスクの精度が講演内容の精度に比例する。

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私の講演・講座って

万人受けはしないだろう。でも必ず講演後に一人とか二人とか個別に質問がくる。時間中に質疑応答の時間は設けていてざっくばらんに話しているけどどうしても講演後にも個人的に話したい!人が必ずいてくれる。その後、かなりコアなファンになってくれる人も少なからずいる。
本当にありがたいことです。
その理由は”好き” と”ワクワク”が伝播していると思っている。

久しぶりのパレスチナの話。
私はパレスチナが大好きってことを思い出させてもらった。何回でもしたい、パレスチナの話、パレスチナの魅力、何がきっかけで人生変わるかわからない。好きってエネルギーは自由をもたらしてくれる、多分。

参加者の皆様、よみうりの皆様本当にありがとうございました!

セバスチャーノさんからはその姿がチェゲバラみたいだと言われました。

これからも好きのエネルギーを発散していきたい!

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