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ナクバに思うLiftaのこと

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ホロコーストを知っていてもナクバを知らない人が多い。リフタという町に焦点を当ててナクバについて書いています。 みんなに知って欲しいので無料で公開していますが、もし役に立ったと思… もっと読む
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#難民

リフタ / Lifta はパレスチナ問題の象徴と成り得るのか?

リフタ / Lifta はパレスチナ問題の象徴と成り得るのか?

リフタを歩く。初めて来た時とは全く違う思いだった。青々と茂る豊かな自然、天然プールに流れる水、そこからつながる小川、鳥の鳴き声、子供達の声。一見すると穏やかな光景。

そこで遊ぶ子供たちとその親。

シャローム。天気がいいですね。わたしも泳ぎたいくらい。でも男の子しか泳いでいないけど、女子禁制?

女子禁制というわけじゃないけど、そういう文化なのよ。

見るだけで認識できる超正統派ユダヤ人ファミリ

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リフタ / Lifta そこは守られている場所

リフタ / Lifta そこは守られている場所

襲撃を受け空っぽになったリフタの村。そこに入植者が住み始める。そして去る。

再度空っぽになったリフタは再開発の話が度々浮上するも、今現在手付かずのままである。

リフタに戻りたい人々の気持ちは、言わずもがな

これ以上わたしの家を壊さないでほしい。

70年前約500の村々が消えた。70年経った今も西岸地区では入植が続き4kのクリアな映像でブルドーザーが家を壊す姿が流される。

時空を超えて守ら

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Lifta / リフタ 入植者の話

Lifta / リフタ 入植者の話

1948年アラブ人(パレスチナ人)たちが逃げ去って、リフタは空っぽになった。

1950年代、リフタに住み着いたユダヤ人たちはイラク出身者であった。イラクのクルド地区からの移民だ。

それは1953年のことだった。イスラエル政府はイラクから来た人々に家を与えた、それは棲家を与えたというだけではなく、元リフタ住民(パレスチナ人)が帰ってこられないようにするための政策でもあった。空っぽになったリフタに

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Lifta /リフタ 鍵を持って

Lifta /リフタ 鍵を持って

1938年に生まれた彼女はリフタを今も故郷(帰るところ)だと思っている。

急に車がやってきて、銃声が聞こえたの。そしたらたくさんの人たちが大急ぎで逃げていたわ。他の人たちも大声で叫びながら逃げ惑っていた。叔父はわたしに、ここにいなさいって言ったの、死体を見せたくなかったから。でもわたしは違ったわ、見たかった、知りたかった。多くの人が殺されたり怪我をしていたの。それはメッセージだとわかったわ、ここ

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リフタ / Lifta に集まる人々

リフタ / Lifta に集まる人々

70年前、この自然が豊かな場所には人々が普通に暮らしていた。今はその面影もないのだが。
友人に何の説明もせずに、写真を見せる。多くの反応はこうだ。

ここは何の遺跡?どんな聖地だったの?

わたしもそう思っていたし、今のこの村の状態を見て古い古い遺跡と思わない人の方が少ないだろう。エルサレムのご近所ということも相まって。

70年前、この村は空っぽになった。民衆は一時的に避難して安全になったら帰っ

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リフタ / Lifta その場所とは

リフタ / Lifta その場所とは

リフタ 緑の多い豊かなその土地に釈然としないものを感じ、わたしはMacBookのキーボードでその名前を叩いた。

日本語では情報が出てこなかった。英語でLIFTAとタイプしてみる。

エルサレム郊外のパレスチナ人のアラブの村。

ああ、そういうことか。この一文であらかた理解できた。イスラエル建国に伴って襲撃されたのだろう、村の人々はきっと難民になっている。西岸の難民キャンプに今も住んでいる人もいる

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リフタ / Lifta プールのその先にあったもの

リフタ / Lifta プールのその先にあったもの

子供達の水と戯れる歓声を背に細い道を進む。緑が茂り小川とも言えないほどの小さな水の流れを越えていく。

わたしの鼻がいいのか、食いしん坊なのか、はたまた野生化して強い香りを放っているのか、無花果の匂いを感じた。
やっぱり!
ふと横を見回すと無花果の木がある。無花果の森だ。食べ頃まではあと2ヶ月はかかるであろう小さな小さな無花果の実がなっているのを見つけた。よく見ると小さな実がたくさんある。まだまだ

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