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聖地パレスチナ 一人散歩

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聖地パレスチナ一人歩き。非日常にあふれた旅の記録
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2016年5月の記事一覧

2日目 再会

エルサレム2日目。朝10時、宿主に電話を借り道中のバスで出逢ったDylaに電話をする。

わたし・昨日バスで会ったあづさだけど、覚えてる?

Dyla・あづさ!連絡くれてありがとう。今日は予定何かあるの?ランチでも行きましょう。オールドシティも案内するわよ。

わたし・ありがとう。

Dyla・じゃあ、ダマスカスゲートに11時でいいかしら?

わたし・わかった、じゃあダマスカスゲートで。楽しみにし

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復活の地・再会の地

聖墳墓教会の中は薄暗くお香の煙で所々靄がかかっている。所々斎場のような場所の天井からはたくさんの真鍮製の香炉が吊るされており、シャンデリアの様を作っている。灯されたろうそくの火の光と窓から差し込む外の太陽の光によって照らされる香炉は黄金の鈍い光を放っている。ここには暗闇と光が混在しているのだ。それがより一層幻想的に見せ雰囲気に呑まれる観光客はより神聖に感じてしまう。吹き抜けの天井の高いドーム状を成

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イエスキリスト死への道程

大きな十字架を担いでそぞろ歩いている団体がいた。目には涙をため、時折立ち止まる。

この団体は悲しみの道、ゴルゴダの丘を辿るクリスチャンだった。歩いては立ち止まり、その立ち止まった場所はイエスキリストゆかりの地点なのだ。イエスが十字架を担いでつまづいた場所であったり、母であるヴァージンマリアと最後に会った場所であったり、その地に口づけをしゴルゴダの丘、イエスの磔刑された場所へ向かうのだ。彼らの気持

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エルサレムのアルメニア

アルメニア人地区には多くのキリスト教に特化したお店がある。絵やタペストリー、キリスト像やマリア像、そしてお香。エルサレムはユダヤ人地区、ムスリム地区、キリスト教徒地区のエリアがあると思っていたがアルメニア人地区が最小ではあるが思ったよりも広いことに驚いた。アルメニア地区というとイランにもあったのを思い出す。イランはアルメニアと国境が接しているとはいえ、イスラムシーア派の国だがアルメニアキリスト教会

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円卓を囲んで

長老・君はコーランを読んだことがあるかい?

わたし・アラビア語じゃないけど、漫画で少し。

長老・コーランはアラビア語なんだ。生き方を示してるんだよ。決して人を殺すことや暴力に賛成するようなことが教えではないんだ。

現在のイスラム教、ムスリムに対するイメージを払拭するような言葉だった。

わたしは 知ってる。わたしのムスリムの友達はみんな優しくて親切だよ。と答えた。インドで出会ったガザ出身のパ

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黄金に輝く

ここには何時間でもいれそうだった。祈りの力なのか心地いいエネルギーが流れているのか無意識裡に人間観察をしていて飽きがこないせいか、壁の前に立つと自然と瞑想状態に入ることができる。嘆きの壁にはそんな力がある。

嘆きの壁の女性の祈りの場のほんの横に岩のドームに通じる道がある。道というか歩道橋のようなものだ。そこでももちろんチェックポイントがあり、そこを通過して細めの歩道橋を歩くと上から嘆きの壁に祈る

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嘆きの壁が目の前に

あっけなく終わったこの少年とのひと時。なんだか胸にぽかんと穴が開く。別に恋したわけじゃないのだけど。彼はわたしに時間と情報とそして水を与えた。わたしは何も与えなかった。与えないどころか一抹の疑いさえ抱いた。本当にいやだ。本当に自分がいやになった。一瞬だけ。

一人で歩くことにする。一人散歩。一人迷子の始まり。

苦しさと感動と胸が沸騰する嘆きの壁、western wall。

日本語だと嘆き、どう

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少年の目的は一体?

下りの早歩きは足を挫くことを考えてしまう。石畳に足を取られないように気をつけながら、たまには飛んだり小走りになりながら少年の後を追う。少し先にはキオスクが見える。赤い看板はコカコーラものだ。コカコーラはどこにでもあるなあ。聖地だろうと所構わず。少年が小走りになりその目の前のキオスクに入る。わたしも後を追う。こんなわたしにも多少の警戒心というものが実はあり、ガイド代を請求されないかなと一抹の不安が心

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