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ありがとうNICU(おわりに)

 この切迫早産日記は、当時友人や家族に送っていたLINEを基に、後から書き起こしたものなので、もううろ覚えになってしまったものも含まれています。そしてnoteでの公開はさらに数か月たった後に進めたので、輪を掛けて輪郭がぼんやりしてしまっているかもしれない。

 でも、のほほんと過ごしていた妊婦生活から青天の霹靂みたいに切迫早産になって、生きるか死ぬかみたいなことを考えたのは本当です。

 大変な渦中にいるときは、果たして大丈夫なのかと不安で押しつぶされそうになるけれど(眠れない夜は特に)、あまり表に出ていないだけで、同じように大変な思いをしている妊婦さんはたくさんいるのだと思います。

 誕生して早々にNICUでたくさんの管につながれて、「大きく産んであげられなくてごめんね」と自分を責める親御さんが多いとも聞きますが、絶対に、自分を責めることはないです。私の場合ですが、振り返ってみれば、赤子がNICUにお世話になることができてむしろよかったと思います。3~4時間おきくらいに母乳を搾ってパックに詰め、せっせと病院へ通って届ける日々。毎日通うとは一見大変なように見えますが、母子一緒に退院して、問答無用でいきなりノンストップ授乳生活が始まるのはめちゃくちゃ大変だと思う。ワンオペならなおさらです。赤子の約1カ月の入院生活の間、私は実によく眠り、よく食べ、よくよく養生しました。手術の傷の痛みも落ちた筋肉も回復していない中で、ノンストップがスタートしていたらきっとどうにかなっていたと思う。赤子が保育器の中でひとりがんばってくれたおかげで、そして産科や小児科の皆さんが全面的に支えてくれたことで、新米高齢出産母は十分な猶予をもって授乳生活をスタートさせることができました。

 全ての命が例外なく大変なプロセスを経てこの世に生まれ出たことに、途方もない感謝とリスペクトを込めて、この日記を終えます。読んでくれた皆さんありがとうございました。

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