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その日は突然来る(入院16、17、18日目)

入院16日目(34週4日)

 4人部屋に引っ越して2日目。カーテン越しに、隣のベッドの人はMFICUの時に向かい側の部屋だった人だろうと察する。声が同じだ。MFICUの時は「向こうの部屋なのによく声が聞こえてくるな、しょっちゅう電話してるんだな」くらいにしか思わなかったけれど、ここで感心するのは来た人来た人全てに声をかけ、気さくに話していること。看護師さんはもちろんのこと、掃除のおばちゃん、配膳に来る看護助手さん。皆、出身がどことか息子がどうだとか自分の病気とか、親しげに身の上話をしていて、こういう人の心をすっとつかんで引き出す人というのはすごい。省みて私は、全然心も開かないし、構えないと人と接することもできない。仕事での反省点とも言える。

入院17日目(34週5日)

 実家から入院前にもらっていたメロンを、夫が一口大に切って持ってきてくれた。たっぷり2週間以上も追熟したのでジューシーでおいしい。

 シャワーを浴びているとき、何気なく自分の尻を触ると、いまだかつて経験したことがないほどぐにゅんぐにゅんに軟らかくなっている。なんだこれは、こんにゃくか。つまりそれぐらいにすっかり筋肉が落ちきってしまったということだ。いくら安静にとはいえ、少しは動いた方がいい気がする。そこで、医療保険の手続きのために電話をかけに、フロア中央のフリースペースまで歩いて行く。そこの自動販売機で午後の紅茶のミルクティーを買った。誰にもお使いを頼まないで、自分で自分のものを買えるのは本当に久しぶりだ。何でもないことがありがたい。

入院18日目(34週6日)

 深夜3時すぎ、お手洗いに立つと、ショーツにヒヤッとした感触を感じる。嫌な予感がして開けてみると、生理の時のような血の塊があった。中の人もかなり動いている。ナースコールで看護師さんを呼んで、内診にかけてもらう。ひとまずその後の新たな出血はなく、落ち着いているようなのだが、病室ではなくナースステーションの横の観察室に入れられた。ほんの半日前、歩いて紅茶を買ってうきうきしていたのに、車椅子に逆戻りだ。かーさんのお尻がぽよぽよのだるだるでもいいのか、中の人よ。

 当直の先生が、点滴(リトドリン)を上げると言っているけれど、飲み薬飲んでるのに大丈夫かな…と思ったら、外で看護師さんに怒鳴っているのが聞こえた。「もうニフェジピン切り替えてるならもう追加じゃ(点滴)入れられないじゃん。なんで早く言わないの」。いや…当直時間帯で引き継ぎが難しかったんだよきっと…そんなに怒らないであげて…。結局、少し定刻には早いけどニフェジピンを飲んでいい、ということになって、飲んだら張りは落ち着いた。ひとまず。

 今日から朝食をパン食に替えてもらって楽しみにしていたのに、元の病室には戻れず、観察室で待機続行。いつ食べられるんだ。しょうがないから寝転んだまま、iPhoneで手持ち最後の仕事の書類を書いてみる。

 朝8時すぎ、担当の先生がやってきて、帝王切開すると告げられてしまった。これまでなかったのに初めて出血して、いつ破水が起こりでもしたら困るのでとのこと。パン食が食べられないことが決定した。悲しい。手術の準備で、尿道カテーテルを付けてもらった。つらい。挿すときも、とどまってるときもつらい。膀胱炎のひどいのが常にある感じ。不快極まりない。いつまで付けておかなきゃいけないんだろう。

 夫に連絡すると、11時には会社を切り上げて来てもらえることになった。義母も取り急ぎ来られるという。11時半頃には手術室へ搬入されるらしい。そして11時前、観察室の外で夫と義母の声が聞こえる気がする。「気がする」というのは、もろもろの処置が続いていて、家族も入ってこられないから。

 11時過ぎ、観察室の外へベッドが運び出されて、夫と義母、両親と勢ぞろいしているのに気付く。貴重品を夫に手渡すのと同時に、一眼レフカメラの操作法を教える。NICUにはスマホは持ち込めずカメラのみ可とのことなので。私はベッドから起き上がれるようにならない限り、面会には行けないだろうから、それまでは夫に撮ってもらわなくては。「頑張って」と皆さん緊張の面持ちの様子。レントゲンとかを撮って以来の「下界」だ。天井しか見えない。ガラガラと引かれていくと、手術室手前に着いた。ぬるめの病室の空気とは異なり、少し設定気温が低いのか、キリッとした空気を感じる。麻酔医の方が説明をされる。背中の2点から麻酔を注入し、意識はそのまま残るとのこと。麻酔が効いているかどうかは、身体に保冷剤を当てて冷たさを感じるかどうかで判断するという。ここの説明までは夫も一緒に聞いた。

 大人数の医師や看護師に囲まれて手術が始まる。首元にはカーテンが引かれているので下の様子は見えない。助産師さんがすぐ隣にいて、「大丈夫ですよ」と時折声をかけてくれる。おなかは、何かが動いている感覚はかすかにあるが、ほとんど何も感じない。私は自分だけに聞こえる声で、ドリカムの「よろこびのうた」をエンドレスで繰り返し繰り返し口ずさむ。平常心を保つように、意識をとどめておくように、気を紛らわすように。

 正午すぎ(と後で知らされた)、ぎゃーーーという泣き声が聞こえて、大丈夫、元気ですよと声をかけられる。顔の左横に連れてきてもらったけれど、赤い顔が一瞬見えたくらいで、まだよく分からない。そしてあっという間に向こうの部屋へと連れて行かれた。少しハスキーにも思える泣き声が自分の身体の右下方面へと遠ざかっていく。人がたくさんいた手術室は、途端に人数が少なくなった。小児科のチームと産科のチームが一緒にやっていたのかという当たり前のことに気付く。産科の先生たちがカチャカチャと器具を動かす音と、少し鼻歌を歌っている声が聞こえる。鼻歌が出るくらいなんだから大丈夫なんだろう。こちらも変わらず「よろこびのうた」を口ずさんでいるけれど、だんだん、「飛ぶ」というか、頭からつま先まで真っ白状態というか、どこかで超音波がキーーーンとなっているような感覚を覚える。口ずさむ声がかすれてきたので歌うのをやめると、息を吸って、息を吐いて、その間隔が短く、息が上がるようになってきた。すっは、すっは、すっはー。真っ白の時間が長い。頭上を照らすライトの光がまぶしい。それにしても、生まれたのに、なかなか処置が終わらないものだな…。

 15時前、ようやく手術室を出て、外で待っていた家族の皆さんと再会する。安堵しているように見える。手術フロアを出る前に先生から説明があり、「3リットル(実際は3・6リットル)出血があったので、3リットル輸血をすることになるだろう」とのこと。輸血による感染症はほぼ心配ないが、念のため後日検査を受けることになると。あの真っ白は、文字通り血の気が引いていたんだな。

 家族の皆さんは昼食も食べずにずっと待っていてくれたので、16時前にはそれぞれ帰ってもらう。夫はNICUへ行けることになった。写真を撮ってきてくれたけど、赤ちゃんが保育器の中で横向きになって寝ているので、全部横顔しか写っていないし目も閉じている。髪がくせ毛で、上唇が薄いように見えるから口元は夫似だと思われる。私は点滴で輸血を始めて、真っ白トリップ状態から少しずつ血の気が戻ってきた。今日はとにかく眠れるだけ眠ろう。

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