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お地蔵様からリンクする賽の河原の石積みは仏教の話ではなかった。

ガイドをしていて、外国人からよく聞かれるのは道端のお地蔵様のことだった。赤いエプロンが目をひくようだ。

なぜ、あちこちの道端に置かれているのか?赤いエプロンは何のためなのか?

お地蔵様=地蔵菩薩

地蔵菩薩は、お釈迦様がなくなったのち、五十六億七千万年後に弥勒菩薩がこの世にあらわれるまで、お釈迦様の代わりに人々を救うためにこの世に出現しているという菩薩様。


あれは、「地蔵菩薩と言って、子供を守ってくれる仏様。古い言い伝えでは子供が親より早く死ぬことは罪だとされて、死んだ子たちは河原で石を積み続けるという罰を受ける。しかし、鬼がやって来てせっかく積んだ石を崩してしまう。そして子供たちは、また延々と石積みを続けるという苦しみが続く。親はそれが可哀そうで、お地蔵様に自分の子供の匂いの付いたよだれかけをかけて、子供を早く見つけて助けてもらうおうとする。赤はよく目立つし、魔除けという意味がある。」と説明する。

説明をしながら、いつも何だか悲しい気持ちになる。

子供だって、親に甘えたいはずなのに、死にたくて死んだのではないだろうに何故、罪なんだろうか?ましてやそのために、罰を受け、それを鬼に邪魔されるなんて、何という不条理な話だ。仏教って何てひどい発想をするのだろう。


次女が亡くなってから、その話は更に引っ掛かるようになり、お地蔵様を見ると賽の河原の映像が浮かんできて余計に切なくなった。
33歳で亡くなった娘は、賽の河原へ行く齢ではないだろうが、親を悲しませるという意味では罪を犯していると言えるからだ。


で、逆にもっとこれを調べて見ようと思った。


さいのかわら【賽の河原】
 出典 平凡社世界大百科事典 第2版

冥途にあるという河原。小児が死後に赴き,鬼から苦しみを受けると信じられている。《法華経》方便品にある〈童子戯れに砂を聚めて塔を造り,仏道を成ず〉から構想された鎌倉時代の偽経《地蔵十王経》や解脱上人(貞慶)作という《地蔵和讃》,また江戸時代の《賽の河原地蔵和讃》などにより,地蔵信仰のたかまりとともに,中世以降とくに江戸時代に普遍化した俗信である。《賽の河原地蔵和讃》は〈死出の山路の裾野なる賽の河原の物がたり〉で,十にも足らない幼き亡者が賽の河原で小石を積んで塔を造ろうとするが,地獄の鬼が現れて,いくら積んでも鉄棒で崩してしまうため,小児はなおもこの世の親を慕って恋い焦がれると,地蔵菩薩が現れて,今日より後はわれを冥途の親と思え,と抱きあげて救うようすがうたわれている。


地蔵菩薩が出てくるので、仏教の説だと思っていたら俗信だった。
そんな訳ないよね、とちょっとホッとする。法華経の表記が関連しているみたいだが、仏典にはその様な表現はないようだ。

昔は、栄養や衛生が行き届かず、幼くして亡くなる子が沢山いたのは確かだ。そして、子供が親の老後の保険であった時代だからこそ、大人になる前に亡くなられると親の落胆は半端ないはずだ。

儒教が浸透していたので、子の大義である親孝行もせずに死んでしまうのは罪という意味だろうか?
それともそんな時でも最後に救ってくれる地蔵菩薩のありがたみを讃えるためだろうか?

時代の色んな条件が融合して生まれた俗信なのだろう。

ときおり「親が悲しんでいては(賽の河原で)娘がいじめられたら可哀そうだから、楽しんで生きよう!」とか思うことがある。まぁ、それはそれでいいか。


調べている途中で出てきた情報:

「賽の河原」、「賽の河原の石積み」という言葉には、決して達成できない目標に対する報われない努力、徒労という意味がある。

またギリシャ神話に「シジフォスの岩」という言葉がある。シジフォスはギリシャ神話に登場する人物で、神々を二度もだました大罪人。
彼は山頂まで大岩を運ぶよう命じられるが、大岩を山頂まで運ぶと、岩は重みで底まで落ちてしまう。彼は永遠にこの苦行を繰り返さなくてはいけない。「シジフォスの岩」にも同じく報われない努力、徒労という意味があるらしい。


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