-こっそり眺めるべき人材-
少し前にも、この画像を使いました。
雨の日のフロントガラスの写真です。
わたしは、たまに言い切りの記事を書いてみたりしますが、主に丁寧語で書くのが基本です。
普段のわたしも、基本的には、年下の人にも敬語で話します。
それは、相手との距離をきちんとはかるための、心ばかりの気遣いです。
何ていうんですかね、親しげに肩を組むより、誰かが、わたしと少し話して幸せな気分になれたり、どこかで、わたしのことを眺めて幸せになれたり、そういう人の方が、よいなぁ、と思っている節もあります。
たまに、友人になるには面倒くさいよね、とか、恋人にするには厄介ごとが多いよね、とか、言われたり、思われたりします。
遠くで眺めてる方がいい人、という人がいます。
多くの人にとって、わたしは、そういう人であると、きちんと理解しております。
だから、好意に対して、わたしから歩み寄ってみることは、余程のこと、心の中に何らかの決心がなければ、そういうことは、まずあまりしないと思います。
おそらく、わたしは、こっそり眺めてること、に適してる人材なのだと思います。
あんまり、話したりしてもつまらないし、近くに寄ると、それはそれで面倒くさい、そういう人材なのだと、的確に理解しております。
それでも、遠くで眺めてる分には、ひっそり幸せになってくださる方も、たまにはいてくれるのかな、とも思っております。
だから、わたしは、音楽を作っているし、小説を書いております。
音楽なら、わたしに見つからずにこっそり聴くことができるし、小説なら、わたしに気づかれずにこっそり読むことができます。
そういう、そのくらいが、わたしの領分なのかな、と把握しておる次第です。
絵の脇にちょこっといる作家、あの曲を作ってくれた人としてちょこっといる作家、その辺りの領分が、性に合います。
しかし、それも、わたしの嗜好かもしれんし、わたしの意図なのかもわかりません。
或いは、あらかじめ定められた、変えられぬ動かぬものなのかもわかりません。
いずれにしても、今後とも、どうぞ末永くこっそり眺めて頂けたら幸いに思います。
でも、話したい日には、話しましょう。
それでは、また月の見える夜に。
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