細胞ひとつさえ
高校2年の時、倫理がいちばん好きだった。でも授業で聞いたことの大半は忘れてしまって、ただひとつだけ、はっきりと覚えていることもある。
デカルトの心身二元論。
"どれほど愛する人を失っても、どんなに苦しんでないて死にそうになっても、あなたの細胞ひとつさえ壊れてはくれない"
当時もその言葉にハッとさせられたけど、大きな喪失を知った上で思い出すととんでもない威力だ。
どれだけ悲しいことが起ころうとも、傷つくのは心だけ。逆に言えば心は傷つき放題に傷つく。すり減ってすり減ってもうなくなるんじゃないかというくらいすり減ることもできる。
うつ病になるかもしれない。自殺を試みるかもしれない。2度と恋愛はできないと思うかもしれない。人間不信になるかもしれない。
大学2年の時、あの人との恋が終わった。罵倒、批判、時に暴力、支配と服従、怯え、執着、依存、そういう恋だった。でもたぶんあれは、愛だった。ほんの少しアイスピックが突いただけで粉々になるようなレプリカの愛だった。
それでも体が引きちぎれると思った、本気で。水さえろくに喉を通らず、ベッドから起き上がる気力さえなかった。恋愛ごときで、と馬鹿らしく情けなくも思うのに、心は壊れ体は動かなかった。
でも、わたしの細胞はなにひとつの変化もなかった。わたしはわたしのままだった。働かない頭にふと思い返されたあの言葉は、わたしを救った。
わたしはまだ若い。先々週、23になった。人生はまだまだ長い。
この先心もプライドもズタズタになる時もきっとある。でもその時まだ君は、細胞を失うわけじゃない。いくらだって再生していける。そうしようと思えば。
だから、傷つくことも、傷つけることも、恐れずに生きてほしい。自分の幸せをちゃんと選んでいってほしい。独りで戦うことも、たまにはやめた方がいい。
愛されることを、求めていい。幸せになりたいと願っていい。
細胞は悲しみを受けない。愛はどうだろう。「君の細胞ごと愛してるよ」と言われたら、細胞は喜びの分裂とか、するのだろうか。
恋ほど厄介なものはないのに、私たちは懲りずに誰かを好きになる。
戻れない道を戻れないと知っていて行く。茨の道さえかき分けて傷だらけになりながらもその道を行く。休むことはできない。引き返す道はない。道無き道を作り出して抜け出すより他ない。
誰かの細胞を愛することはできても、誰かの細胞を傷つけることはできない。だから愛は強いのだと思う。だからひとは、愛してるの響きで強くなれるのだ。
愛するという挑戦。
愛されるという覚悟。
どちらも、今のわたしにはない。でもなにがあろうと、わたしの細胞は死なない。
2017.4.2
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