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授業嫌いが「なりゆき」で始めた哲学対話の授業──哲学者・五十嵐沙千子さんインタビュー(1/3)

申込み不要。参加費も無料。テーマも決めない──そんな独自のスタイルを貫く哲学カフェが、毎月2回、茗荷谷と筑波で開催されている。主催するのは、筑波大学で教鞭をとる五十嵐沙千子さん。聞けば、ほとんどボランティアとしてこの活動を続けているという。ハイデガーやハーバーマスを専門とする哲学の研究者でもある五十嵐さんは、なぜプライベートの時間を使ってまで「哲学対話の現場」をつくり続けるのか。そこには、どんな思いが込められているのか。五十嵐さんのファンを公言してやまない運営メンバーの3人が、都内某所にあるカフェでインタビューを行った。全3回に分けてお届けする。
第1回は、授業嫌いを自認する五十嵐さんが「ソクラテス・サンバ・カフェ」を始めるにいたった不純な(けれど納得の)理由についてお話を伺った。(interview by matsuishi, kinoshi, tagai)

■ 授業嫌いがはじめた「対話の授業」

──メールでも書かせていただいたんですが、五十嵐先生が主宰なさっているソクラテス・サンバ・カフェ、運営メンバーの3人とも2回以上は参加していまして。

五十嵐:ええ。みなさんのことはよく覚えていますよ。

──僕(マツイシ)が最初に参加して、控えめに言ってとても刺激的な体験だったんですね。それでタガイくんを誘って翌月また参加したら、彼はもっと感銘を受けて。「これはぜひ自分たちでもやりたい」と始めたのが、この「TOI」という活動なんです。
 なので今回、活動を始めるきっかけを与えてくださった先生にインタビューお受けいただけて、我々としてもとても嬉しく思っています。

五十嵐:よかったです! 何でも聞いてください。

──ありがとうございます。ソクラテス・サンバ・カフェは続けてどのくらいになるのでしょうか?

五十嵐:もう10年ぐらい経ちますね。大学の外に出てやるようになって。

──というと、以前は大学内でやられていた?

五十嵐:そうなんです。最初に赴任した大学の授業で、それが「哲学カフェ」「哲学対話」と呼ばれるものだとは知らずに、ほとんどなりゆきではじめて。というのも、大学の教員になると学生向けに授業しなきゃいけないんですが、私、初めから授業をする気がなかったんです。

──……授業をする気がなかった?

五十嵐:自分が学生のときに授業が本当に嫌いで。先生が一人でずっとしゃべっていたり、黒板に書かれたものをわざわざ写さなきゃいけなかったり、ああいうのが退屈で退屈で、もう牢獄にいるような感覚だったんですね。「こんなのは暴力だ」とすら思っていて。まあでもしょうがないなと思って、サボりながらごまかしながら、やっていたんです。

──はい。もう大変よくわかります。

五十嵐:ところが、大学院のときにドイツに留学して、それでは生きている価値がまったくない、ということに気づかされたんです。
 留学してしばらくは、日本にいるときと同じような態度で授業に出ていたんですね。そうしたらある日のディスカッションで、韓国人の留学生が戦争責任についての話をはじめて。日本と韓国の間でこういうことがあって、自分のおじいさんが日本軍に殺されて……と、その状況も生々しく語るんです。
 で、話しているうちにその留学生が泣きはじめて。ほかはみんなドイツ人で、私だけが日本人。みんなシーンとしているし、どうしよう……何か言わなきゃ……と思ったんですが、どうしても言葉が出てこなくて。
 そうこうしているうちに、当の韓国人の留学生が私に向かって「サチコはどう思うか」と聞いてきた。いよいよこれは何か言わないと、と思って答えようとした瞬間、ほかのドイツ人の学生が先回りして「サチコに聞いてもダメだよ」って言ったんです。

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──聞いても答えないからダメ、ってことですか?

五十嵐:そう。聞いても答えないから。でもそう言われて、私、「えーっ!」って。
 でもよく考えてみたら、確かにそれではダメなんです。理解はしているつもりでもディスカッションの場で話せないというのは、自分のこととして考えていない証拠。「一応ちゃんと聞いている」っていうだけで自分の意見なんてまるで持っていなかったんです。そのことに初めて気がついて、「ああ、私って落ちこぼれなんだ」って思ったんです。
 それ以来、少しずつ自分の考えを言うようになって。留学期間が終わって日本に帰ってきて、もとの大学院の授業でも同じようにしていたら、気がついたら私ひとりがしゃべっていた(笑)。

──ああ(笑)。

五十嵐:大学院ってほんとうにそうなんですけど、先生がいちばん偉くてオーバードクターの人がその隣から順に座っていって、というヒエラルキーがある。私はまだ大学院に入って2年目ぐらいだったんで、わりと末席に近い存在だったんですけど、ドイツから帰って気がついたら、ひとりでしゃべっていました。偉い先生に対しても、「いや、私はそうは思いません」とか言ったりしていて(笑)。
 でもそうしていたら、小学生以来あれほど嫌いだった授業がすごく面白くなったんです。

■ 型破りの授業、ティーチングアワードに選ばれる

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──180度変わったんですね。

五十嵐:そう。それで大学院を出て就職した大学で、100人ぐらいの学生を相手に哲学の授業をやることになったんですけど、それが「スポーツ推薦」で入ってくる学生が多い大学だったから、そこで哲学の授業をやるともう確実に「睡眠」なんですね(笑)。

──なるほど(笑)。

五十嵐:でも私、みんなに寝られるのは絶対いやだったんです。で、自分も授業は嫌いなんだけど一生の仕事だから逃げることもできない。じゃあもう、絶対にひとりも寝ないような、やっている私自身も楽しいような授業をやってやろう、と思ったんです。
 ただ、どうしていいかわからない。「授業論」みたいなものを習ったこともない。だから思い切って、学生のみんなに聞いてみたんです。自分は授業が嫌いだったから、嫌いな授業をするつもりはない。でも授業をしないとクビになってしまう。どうせ一緒の時間を過ごすんだから、みんなで本当にやりたいことをしたい。で、いまみんなが考えていることとか悩んでいることをここにいるみんなで一緒に考えない?って。自分自身、ドイツで経験した対話的な授業がとにかく面白かったという経験もあって、そこからはじまったんですよ。哲学カフェ。

──本当になりゆきなんですね。意図的に取り入れたわけではなかった。

五十嵐:そうそう。で、学生たちが言うには、「とにかく大学の授業が嫌だ」と。朝練があって、授業が終わったあとも練習があって、にもかかわらず何の興味もないことをずーっと言われる。こんな辛いことはない、と言うんです。
 そこで最初のテーマに選んだのが、「どうやったら授業中に寝ないか」(笑)。

──それが最初の哲学カフェのテーマだったとは(笑)。

五十嵐:で、「それはいいね。じゃあみんなでやってみよう」と言って、いろんなことを試しました。例えば、「机があるから安心して寝てしまう」と言う人がいたので、「じゃあそれやめよう」って、机も椅子も固定式だったから机の「上」に座ったり、あるいは、「靴を履いていると安心してぼんやりしちゃう」って言うので「裸足になろう」って、本当に靴を脱いだり。ほかにも、大講義室の黒板のところにみんなで座って、それぞれが思うことを黒板に書く、みたいなこともしました。
 その間、私は教壇には立たないで、みんなの中に入って座るわけです。それも、一番サボる気満々の猛者みたいな人たちの隣にあえて座ったりして(笑)。そうしたらすごく楽しくて、みんなもすごく話してくれて、授業時間が終わったら私は帰るんですけど、みんな帰らないんですね。残って話してるから。
 面白かったのが、授業中でもお掃除のおばさんが入ってくるようになったこと(笑)。授業やっていると思わないんですね。教壇に先生がいないし、みんなわーわー喋ってるし。

──休講になったかと思いますね(笑)。

五十嵐:とはいえ、こんなことしてるのがバレたら絶対怒られるなと思って、半分は戦々恐々としてこっそり続けているうちに、なぜか4年目に「ティーチングアワード」というのをもらってしまって。勤めていた大学には1500〜1600人ぐらい先生がいたんですけど、そのなかから1位に選ばれてしまった。

──すごい(笑)。

五十嵐:受賞すると学長とかいろんな偉い人の前で授業しなければいけなくて、「これは……!」と(笑)。それ以外にも、学内の先生に対して授業の研修をするようになって、それで初めて「あ、これでもいいんだ」と思うようになりました。
 その後すぐに筑波大学に移ることになって。私が所属する学部はわりと自由だったので、それに乗じて私も「哲学カフェ」っていう授業を作ったんです。で、そうやって授業をしているうちに、学生が「おもしろいから外でもやろうよ」って言って、それで外でするようになったのが「ソクラテス・サンバ・カフェ」です。

■ 「トルストイって何?」がハイデガーを読む

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──なるほど。現在の哲学カフェの形に、自然となっていったんですね。当の学生たちに変化はありましたか。

五十嵐:ありましたね。授業といえば座って寝るもの、そのために後ろから座るもの、だったのが、みんな「自分たちの授業だ」って思ってくれたのか、次第に前後関係なく席が埋まるようになって。そもそも私がどこに座るかわからないですし。
 記憶に残っているのは、最初の大学で、アメフトの推薦で入ってきた学生が「さっちゃんの授業に出て、初めて大学の授業を受けたって思えた」って言ってくれたんです。みんな、文学部なのに、最初はトルストイも知らなかったんですよ。私が「トルストイが」って言ったら、「トルストイって何?」って言われて。「誰?」じゃなくて「何?」っていう(笑)。

──人ですらないという(笑)。

五十嵐:そうそう(笑)。そういう学生たちが、それでも哲学を面白いと思って、卒論のゼミに私のゼミを選んでくれて。それこそ、「トルストイって何?」の人たちがハイデガーを読もうとして、でも難しいから、みんなで研究室に泊まり込んで一緒に読んで議論したりもして。そんなみんなの姿には本当に感動しました。

──自分で考えたり調べたりする楽しさに、自分で気づいていったんですね。

五十嵐:そうなんです。卒論を書かないといけないから(ハイデガーを)読まないといけない、調べないといけない、ではなくて、対話しているなかでハイデガーの言っていることを知りたくなるから読む、調べる。

──最初は「授業をしたくない」という一見不純な動機で始めたにもかかわらず、結果的にはそれが一番学生たちを哲学にのめり込ませる授業になっていったというのが、すごく面白いですね。最初、哲学カフェのスタイルで授業をやったときは、それが「哲学」だという意識はあったんですか。

五十嵐:もちろんです。私はもともと、みんながそれぞれの目の前の問題を考えることが哲学だと思っていたので。
 私が哲学を勉強しようと思ったのも、元はと言えば私の母が厳しくて、私に「こうしろ」とか「ああしろ」とか「こういう人であれ」とかいろいろ言ってくる。それが嫌で、「私らしくて何が悪いんだろう」って思ったからなんです。そこで、じゃあ「私ってなんなの?」と考えはじめたのが、哲学をするようになったきっかけ。
 だから、一般的に「哲学」というとカントだとかハイデガーだとかを必死に読んで勉強するものだと思われているんですけど、そういうのは私にしてみれば「哲学」ではなくて「哲学学」なんです(笑)。

──哲学学。

五十嵐:結局、カントも友だちのひとり、対話する相手のひとりでしかない。リアルな友だちと話していてものたりなくなったり、昔の人はどう考えていたんだろうと思ったりしたときに、じゃあカントの話も聞いてみようか、と思って会話するように読むのがいちばん自然だし、読んでいて面白いと思う。最初から「勉強しないといけないから読む」というのは、私はあんまり好きじゃないんです。

──シラバスではどういうふうに書かれていたんですか?

五十嵐:最初の大学のときは哲学者の名前を一切出さないで、「身近なことを対話するのが哲学である」と書いていました。でも、それで対話していくなかで話が発展してきたら、私がカントとかデリダとかハイデガーのテクストを持っていって、この人はこういうふうに言っている、と紹介する。そしてみんなで読んでいく。
 2年目以降になると、すでに私の授業を履修済みでもうそれ以上単位は出せないのに参加したいという学生たちが現れて、「今回は最初からテクストを読みたい」と言って来るようになって。でも一方で、「自分たちは対話をするために来た」という学生たちもいるから、一つの教室の中でテクスト読解と哲学カフェを同時並行でやることにしたんです。そうしたらそれがすごく面白くて。対話が終わったあとに必ず15分ほど、「対話で何が問題になったか」「テクストはどこまで来たか」をみんなでシェアするんですね。すると意外に、対話グループで話されていた身近なテーマと、テクストグループが読んでいた記述が共通していたりする。そうしたらその次の週は、対話していた学生たちがテキストグループに加わったりするんです。

──講義型の授業とは全く違って、何が起きるか予測がつかないところが面白いですね。

五十嵐:本当に遊びというか、哲学の「砂場」のような状態で毎回授業をやっていますね。(第2回に続く)

─ INTERVIEWEE PROFILE ─

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五十嵐沙千子(いがらし・さちこ)
筑波大学大学院人文社会科学研究科哲学・思想専攻単位取得退学。博士(文学)。東海大学文学部講師を経て筑波大学人文社会科学研究科哲学・思想専攻准教授(現職)。2009年から市民のための哲学カフェ(筑波大学哲学カフェ「ソクラテス・サンバ・カフェ」)を主催。主な著書に『この明るい場所—ポストモダンにおける公共性の問題』(ひつじ書房、2018)などがある。

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