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神は細部に宿る

神は細部に宿る。
一度は聞いたことある言葉ですよね。
神が細部に宿るってどういうことだろう。

小さいころ僕は細部に技術が光るってことだと思ってました。
細部にこそ拘れ、とか、本当に優れているところは細部にあるから見えづらいよね、とか。
だから細部にさえ気を付けてればいいんだって。
けど今の僕なりの解釈としては、
「全てに拘るからこそ、”結果的に”細部に神が宿る」だと思ってます。

僕が結構大事にしてる言葉。
「ハレ(晴れ)はケ(褻)から。」
「外見は中身の一番外側」でも似たようなことを書いたけれど、
物事の本質って残酷なほど単純で根源的で明快なんだと思う。

世の中に露出する部分、ハレ。
人の外見も仕事もアート作品もスポーツの名場面も何に関しても、すべて普段の見えていないケがそのまま表層化する。
適当に生きる人間は外見に、仕事に、作品に、プレーに、表層化する。
何かいい仕事をしたいのなら、素直に実直に誠実に向き合わなくてはならないのかなと思う。

そう思って振り返ると人生のほとんどこれに当てはめられる

ラグビーだってタックルという単純な行為を練習時間の何万時間も費やす。
それなのに練習時間と比べて極めて短いたった80分という時間の中の、たった10回程度のうちの1回をミスったりする。

勉強だって何万時間って勉強をしたって、共通テストだったり二次試験のたった数時間でミスったりする。

僕の趣味の筋トレでも似たような言葉がある。
「スクワットの浅さは人としての浅さ」
一瞬笑える言葉だよね。
たかがスクワットで人間性なんてわかるかって。
でも核心をついていると思う。

スポーツだって、勉強だって、仕事だって、なんだって、
どれだけその物事に真剣に取り組んだかで、
どれだけケを丁寧に積み上げたかで、ハレが決定づけられる。
なんならどれだけ丁寧に積み上げたところでハレがうまくいくとは限らない。
それでも腐らず実直に積み上げ続けるしかないんだろう。

神は細部に宿る。
きっと細部に神を宿らせようとしちゃいけない。
多(全体)は一(細部)の集合。
一をひたすらに丁寧に積み上げ、多を形成する。
多に神を宿らせようとし、結果として一に神が宿る。
そんな一と多の両方に神が宿るべきなんだ。

そんなことを心に刻みながら一日一日、
一瞬一瞬を積み重ねていきたい。


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