自粛期間を「引退後の予行演習」と捉える

僕は現在42歳なので、まぁ、20年後とか30年後とかに引退して余生を過ごすんだろうなぁ・・・なんてことをぼんやり想像していたんですよね。

晴耕雨読は理想だけど、虫が嫌いだし、土とかで汚れるのもって思うと、水耕栽培くらいしかできないなぁ・・・みたいな妄想です。

しかしながら、今回のコロナによるリモートワークは(もちろん仕事はしているものの)、ある意味で「引退後のライフスタイル」の予行演習をしているんじゃないか?という気持ちになってきました。

本日は、そのあたりを考えてみようと思います。

前提

そんな生活が許されるかどうかは、その時になってみないと分からない(社会情勢、自分自身の健康状態や経済状況が読めない)のですが、とはいえ、何かしら前提を置かないことには始まりません。

ひとまずは
・別に働かなくてもいい(もちろん働いてもいい)
・普通に健康。普通に歩けて、食事も楽しめて、多少のお酒も飲める。
・現在と同じようなテクノロジーである(もちろん、大きな確信があるんだろうけど、まぁ、それを予想しても仕方ないので)
という前提を置いて、20年後30年後に時計の針が進んだ、とすることにします。

共通点

健康とテクノロジーは、ひとまず良いとして、この未来予想図と現在の最も大きな違いは、当たり前ながら、「今は『働かないといけない』」ということです。残念です。

しかし、リモートワークによって「出社」「移動」「紙書類の取り扱い」などが激減しています。

これ、従来の「働く」の中のそれなりの割合を占めてたわけですが、それがごっそりなくなりました。つまり、時間的自由度が圧倒的に増したわけです。

もうこれは「働かなくてもいい人が、働いてみてる」と同じなんじゃないか、ということにしましょう。細かいことはいいんです。そうなんです。そうだ。そうだぞ。そうなんだぞぅ。

ということで、それを踏まえて、今の生活で感じていること=余生の過ごし方に対するインプットを考えていきたいと思います。

規則正しい生活(ルーチン)が大事

まずは、これです。ルーチン。イチローがカレーを食べるって奴です。ベイビーステップの第二部で言えば「深呼吸してガットを直す」です。

普段って、強制的に、ある時間になれば準備をして電車に乗って会社に向かうわけですよね。リモートワークではそれがありません。もちろん、定時にはPCの前に座ってるとかいう話はありますけど、基本的に、どんな格好でも怒られませんし、移動時間が0なのでその気になればギリギリまで寝ていてもなんとかなります。

こうなると、切り替えが難しくなるんですよね。そこで、ルーチン化します。

・朝起きてシャワーを浴びる
・着替える(リラックスウェアでも良い、作務衣とか買いたい)
・朝食をたべる(ジュースでもいい)
・歯を磨く
・髭を剃る、髪を固める

みたいな「ルーチン」が大切なんだなと思うわけです。(順序や内容は人によって違うと思いますけど、だいたい上のような「儀式」になると思います)

従来なら、この後に、電車/バスに乗る → コンビニに寄る → 会社のデスクに座ってPCの電源を入れる というような流れになるわけですが、物理的な移動をすっ飛ばして「PCの電源を入れる」に進みましょう。

これで「スイッチ」が入ります。

あとは、ランチとか夕食とかも時間をだいたい決めて動くと良いですよね。人間、なんとなく、を基軸にしてダラダラと生きるのは、やっぱ数週間が限界ですね。

引退しても、きっと「何かしらのルーチン」を定めて、それに則って生きていくことが実は大事なんじゃないかと思います。犬の散歩をするとか、何かアウトプット(書き物とか)をするとか、そういうのを、ある程度の時間割を決めて行うんだろうな、と。

そうすると、LIFE SHIFTで書かれていたように、若い時からの準備が必要になります。

コロナのような感染症が、今後も出てくるかもしれないと思うと、100年時代になるのかどうかはさておいて、死ぬ直前まで仕事漬けの人生を送る人以外は、(期間の長さはともかくとして)「余生」に向けて趣味を持つべきですね。

移動の消滅=活動時間の増加

上述の通り、通勤+コンビニに寄る時間をsukipしてPCに向かう、ということは、オフィスとの往復移動時間が、そのまま活動時間に上積みされることを意味します。

僕は、職住近接を意識しているので、Door-to-Doorで片道15~20分程度で到着しますが、それでも1日30-40分の時間を通勤に使っています。僕は、毎日出勤していたわけではないですが、仮に月に20日行くなら、600~800分/日。10~13時間です。1年で120~156時間。

片道1時間の通勤をしている人なら、この4倍。1年で480時間。まるまる20日です。

よく、3000時間の法則、と言いますが、上記の時間をまるっと使えば、6.25年、つまり、6年3ヶ月で3000時間突破です。

この時間を、何に使うのか?これも、大きな課題です。つまり、幸福な余生を送ろうと思うと・・・

・ルーチンを形成するための趣味
・時間を消費するための趣味

が必要なんですね。(もちろん、同じ趣味で両方の目的を満たしても構いません)

社会とのふれあい

人間は社会的な生き物なので、どういう形であれ、他社との関りを持たないと生きていけません。

偉そうに世の中の批判をするつもりはないのですが、スーパーとか飲食店で怒り狂う不機嫌なご老人方のことを思うと、社会とのかかわりが薄いがゆえに、ああいう行動で何かしらの接点を持とうと(無自覚且つ無意識の行動でしょうけど)しているんじゃなかろうか、という気持ちにもなってます。つらい。

今回、コロナによる外出自粛によって、社会と断絶を感じる人も多いでしょう。一人暮らしの人は、本当に「誰とも会わずに1日が過ぎる」ということが普通に起こってしまいます。それが何日も続くことも。

もちろん、オンラインコミュニケーションは有効な手段です。SNSによる情報の発信およびコメントでのやり取りや、zoom等のweb会議システムを用いた遠隔飲み会などは、極めて便利です。むしろ、大阪や、シンガポール、西海岸、ヨーロッパなどに住んでいる友人とも(時差問題を踏まえた時間調整さえできれば)、いままでよりも簡単に「会える」ようになりました。

これは、引退後にも使えそうな知見です。

きっと、今後は、オンラインで知り合い、オンラインで会話し、そのままオンラインで疎遠になるという「オンライン完結型の人間関係」も出てくるでしょうけれど、僕たちオールドタイプは、やはり「リアルで構築された人間関係」を、維持・深化させていくためにオンラインコミュニケーションを使う方がしっくりくるように思います。

と、なると、オンラインツールを使う意味のある「相手」を、現役時代にたくさん作る、ということが肝要なのかもしれません。

そういう人間関係さえ構築できていれば、引退後に、どこに住んでいても(山奥でも、ハワイでも、アジアでも)ネットワーク環境さえあれば、社会性を保つことができるでしょう。

結論:仕事の「外側」を大事にしよう

こうして考えると、やはり、現役時代に「働くことだけが人生」という道を選ぶのは危険ですね。

趣味を見つけましょう。やり込み度が高いものの方が良いでしょうね。僕は、料理とかいいんじゃないかと思っています。趣味と実益を兼ねてますしね。「こだわりすぎないで、ほどほどの労力で、そこそこうまい料理を手早く作る能力」を磨いていくのは、人生の幸福度向上に効きそうだよなぁ。

友人から聞いた話では、盆栽が良いらしいです。盆栽は「さあ始めよう」と思ってから、「おっ、なるほどね」となるのに、15年くらいかかるそうです。(だって、枝が伸びていくのには時間がかかるんですもの) したがって、「ちょっとうまくいったから、次はこうしよう」「これはだめだったから、やり方を変えよう」というのを10年15年スパンで回していくので、若い時に始めないとダメなんですってw

そして、その趣味を核にして、友人を作りましょう。

もちろん、仕事が趣味、ということが絶対にダメということではありません。ただし、その場合は、仕事の幅を広げ、興味範囲を広くとるように心がけましょう。一つのことだけやってると、世界が狭くなります。そうやって広げた仕事の世界で出会った人の中で、しっかりと「友人」をつくりましょう。(だれでもかれでも友人にする必要はないです。仕事のパートナーと人生のパートナーは、評価軸が違いますからね)

そんなようなことを考えている今日この頃ですが、みなさんも、この機会に、人生設計を見直してみて、実際に少し試してみるとよろしいのではないでしょうか。(目の前に、自宅に引きこもりっきりのGWも控えていることですしね)

いただいたサポートは、このnoteで紹介する書籍の購入に使わせていただきます。