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相貌失認症であることを徐々に打ち明けていった話 障害を言い訳にしない

こんばんは、アドバイザーのこうたです。

本記事は、何かしらの障害を抱えている人にぜひ読んでいただきたい。


過去に何度か投稿している相貌失認に関する体験談ですが、一定の反応をいただいております。

私がこのアカウントで障害のことを話しているのは、「人は障害を抱えていても、健常者と同じように働ける」ということを伝えたいからです。

もちろん限界はあります。

とはいえ、接客業なのに相貌失認かつ聴覚情報処理障害を抱えていても全国一位になれるというのは、ある意味希望になり得るのではないかと思っています。


ちなみに相貌失認とは、人の顔が認識(記憶)できない障害のことです。

おじさんが、「アイドルの顔がみんな同じに見える」とよく言いますが、その人類全体版だと思ってください。

親の顔ですらその他大勢と同じに見えるのが相貌失認です。





1.打ち明けるまでの流れ

方向音痴の人
滑舌の悪い人

など、ちょっとした欠点を抱えている人は少なくありません。

まあ私もこの2つは当てはまるのですが、この程度はネタぐらいの認識で深刻にはなりません(滑舌は程度によりますけど)。

それと同様に、『人の顔が覚えられない』というのは、それだけ聞けば大した問題に聞こえませんよね?

親しい人以外は覚えるのが苦手な人も相当数いるでしょう。



家族にも友人にも、「人の顔を覚えるのが苦手」くらいのことは頻繁に口にしていました。

元々私は、『興味のない事柄は記憶しない』という癖の強い性格をしていたこともあって、その延長線上に捉えられていたと思います。


『アドバイザーのこうたは人の顔を覚えるのが苦手』


周囲にこの認識をさせるのは難しくなく、致命的な扱いを受けることもありません。

注意をしていれば、「家族も親友の顔も覚えられないやつ」、という深刻な印象を与えてしまうのは避けられますからね(ただし軽度の場合に限る)。




そしてふとした時に伝えました。

誰に話しても反応は、「そうなんだ」。

おそらく内心では、「そこまでガチの理由だったんだ」「今までの異常な物覚えの悪さに合点がいった」といったところでしょうか。


この辺の事情を知っている友人は、合点がいったことと思います。

だからといって深く質問を受けることはなく、普段も話題に出ることはありません。



弟は色盲ですが、私と同じように日常生活に支障がないように装っており、友人に伝えても同様の反応だったと聞いています(下記参照)。


別に私が相貌失認だと知っていてもいなくても、周りの態度が変わることはありません。

良い友人に恵まれたこともありますけど、健常者からしたら実感しにくいことなので、触れたくても触れられるものではありませんからね。





2.過程を端折って伝えた場合

過程を端折ったというより、たいして関係の深くない相手に伝えた場合です。

わざわざこんな重い話を伝えることはしませんが、「この人に伝えたらどういう反応をするだろう?」と興味本位に話すことがあります。

私自身が、重く受け止めていないからこそできる行動と言えましょう。



ケース1 一般女性
一時期、出会いを求めてアプリで女性と出会うことを繰り返していました。

まあ元々コミュニケーション能力が欠如している私なので、そんな状態で障害の話をする時点でお察しですよね。

私は顔を認識することは苦手ですが、表情から感情や嘘を読み取る能力に長けています。

はい、ドン引きでした。

中には、「大変ですねー」と感情のない言葉をいただいたこともあります笑

ある程度仲良くなってから伝えていたら結果は違ったのかもしれませんけど、やはり障害は敬遠されるものだと再認識させられました。



ケース2 同年代の仕事相手
クライアントと言えばクライアントですが、対等な関係で気軽に食事に行くことができる程度の間柄です。

友人ではありません。

敬遠される反応ではなかったものの、明らかに興味がなさそうな反応でした。

まあ当然です。

仕事に支障がないのであれば、面白い話でもないのだから個人的な事情などどうでもいいでしょう。

むしろ聞かされたほうは反応に困りますよね。



ケース3 そこそこに仲が良い知人
プライベートのみの関係で、2人でわざわざ会うことはしない程度の間柄。

2パターンあって、一つはケース2と同じ反応です。

もう一つが、興味本位に質問をしてくるパターンでした。

別に深く突っ込まれても構わないので、一問一答を繰り返して終わりです。





3.私が最も意識していること

それは、障害を言い訳に使わないことです。


仕事で何回もやらかした私ですが、「相貌失認の障害がありますから……」と言い訳をしたことは一度もありません。

全て、単純な能力不足による失敗ということにしています。


経験者は実感していると思いますが、他人からしたら障害なんて邪魔でしかありません。

「じゃあやるなよ」「身の丈にあった業務に移れよ」などと思われたら、それこそ生きづらくなります。



これは相手が友人であっても同様で、「俺、相貌失認で顔が分からないからさ」なんて絶対に言いません。

単純に「人の顔を覚えるのが苦手」と言いますし、誤魔化したい時は「どうでもいい人のことなんて覚えない」とさえ言います。


他にもいろいろと障害を抱えている人を見かけますが、障害を言い訳にされたら何も言えません。

むしろ周りが気を使うべきというふうに聞こえてしまい、私は「甘えているな」とすら思ってしまいます。



私からすれば、相貌失認よりも喘息のほうが生きづらそうで大変だなと思います(母ともう一人の弟が喘息持ち)。

喘息は分かりやすいので理解されやすい部類ですけど、今のご時世では本当に生きづらい。

原因なんて関係なく、咳=悪 ですからね。





4.多くの人が何かしらの障害を抱えている

拒食症だって立派な障害です。

実はいつも一緒に働いているあの人が拒食症だった、なんて珍しくもありません。

いびきが酷い人も、恋人ができた時や社員旅行の時に頭を悩ませていると思います。

女性で太りやすい体質というのも、毎日気をつけなければならないので相当な苦労を強いられます。



そう考えると、私は相貌失認や聴覚情報処理障害程度の障害で良かったとすら思っています(同じ障害持ちの人を軽視しているわけではありません)。

まあ他にも、生来体が弱いとか乾燥肌が酷いとか、コンプレックスを挙げたらキリがないほどたくさんありますが…………笑


一時は親を恨んだこともある私ですが、今はそれほど気にしていません。

やり方次第である程度は慣れます。

絶望しないで、思考してみてください。




障害を抱えて日常生活を送る人たちのためのサークルを開くのも面白いかもしれない、とちょっと思いました。

賛同していただける方は、ぜひコメントをいただけると嬉しいです。


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