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網敷天神社の御旅社にお参り

 阪急梅田駅から北に徒歩五分、ミズノビルの真下にひっそりと佇む網敷天神社の御旅社に行ってきました。
 始めて目にする名前が多かったので、その辺りを中心に調べたことをまとめています。

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イケメン狛犬さんとミズノビル


■御旅社って何だろ?

自分は「ごりょしゃ」って読みました・・・正しくは「おたびしゃ」。

地域のお祭りなどでお神輿担いで地域を巡行しますが、その際に神様がご休憩されたりご宿泊されたりする場所が、「御旅所(おたびしょ)」と呼ばれるそうです。

摂社や配偶神を祀る神社が役割を果たす場合がある他、仮設の社殿を設営する場合もある模様。

網敷天神社の場合は、南に合祀していた梅塚天満宮の土地が国に没収された際、茶屋町の氏神さまとしてお迎えしたいと土地の寄進があった為、現在の地に社殿を建立。本宮の「御旅所」を兼ねた神社として「御旅」となった経緯があるようです。

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鳥居脇に「御旅所」の石碑

自分の地域では夏休みに子供会主催で御神輿担ぎが行われており、毎年お決まりの神社で休憩していましたが、あれは御旅所だったのかもしれません。(その時に配られたDOLEの紙パックジュースがべらぼーに美味しかった・・・)

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■Doleの紙パック
当時オレンジは瞬殺、アップルとパイン余りがち(世代差があります?)

■綱敷天神社の由来

 古代大阪は梅田から天王寺にかけて小島の集まりでしたが、その景色は天の橋立的な地形に、梅の木が立ち並ぶ風光明媚なものだったらしく、当時のセレブな方々のお気に入りの地でした。

 言い伝えでは、菅原道真公が大宰府に左遷された際、同地で一本の梅の木を眺めようと、船の艫綱(ともづな)をたぐりよせ、即席の敷物としたことが「綱敷(つなしき)」の名の由来といわれています。

 道真が大宰府で死去して後、この地で別れた家臣らが、道真の愛でた紅梅の元に小祠を営み「梅塚天満宮(天神社)」と称して道真を祀りました。

 網敷天神社で「綱敷天神社(つなしきてんじんしゃ)」。シンプル!

関連メモ
 道真公を祀った家臣の一人、白江家は現在も御旅社で神職としてご奉仕されているそう(現神主は第56代目:白江秀知氏)。

■ざっくりと歴史

 承和10年(843年):平安時代初期の左大臣・源融は当地に七堂伽藍、太融寺とともに父である嵯峨天皇をお祀りする「神野太神宮」を創建。

 正暦4年(993年):道真の罪が許されたことで、この「神野太神宮」に社殿を建立して嵯峨天皇と共に合祀され、「北野(喜多埜)天神」に改称。前出の「梅塚天満宮」は御旅所として組み込まれる。

 明治5年(1872年):茶屋町に御旅所遷座。今に至る

古地図_綱敷天神社

古地図と現地図の比較(拡大推奨)。
■難波往古図 ; 河州雲茎寺什物
http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail?cls=map&pkey=r1001001

■みどころ

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ビルの狭間の穴場的オアシス空間

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天神社名物の牛さん。ドヤ感あふれるご尊顔

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境内社の玉姫社。劇場と隣接していることで芸能に関係した神様を祀っているものと思われます。

■神社概要

祭神:菅原道真公
創建:延喜元年(901年)
境内末社:玉姫稲荷神社
住所:大阪市北区茶屋町12番5号
※wikipedea抜粋


参考資料:
http://tunashiki.sakura.ne.jp/yuisyo/aramashi001.html
http://tunashiki.sakura.ne.jp/syaden/otabisyo.html     https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E6%97%85%E6%89%80
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%B1%E6%95%B7%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE

 






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