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変身したい少女は同級生を殺したかった

セーラー服と変身ブローチは、私の憧れだった。

私の家の真ん前に建っていたサティ(今で言うイオン)の二階には、小さなゲームセンターがあった。私はそこの景品に、本当に変身ブローチや変身ペンが混じっていないかと、本気で考えて必死で探していた。

月刊の漫画誌・なかよしの連載で、美少女戦士セーラームーンが始まったばかりだった。変身モノなのに何だか大人っぽい描写、そしてうっとりするほど綺麗な作画が、おませな小学生女子を途端に虜にした。その中の一人が、私だった。

私が通うことがほぼ決定していた町立の中学校は、今となれば割とお洒落な緑色のブレザーの制服だったけれど、私は当然、セーラー服に憧れた。あの、大きなリボンのついたセーラー服。生徒を規律の中に置いておく為のはずの制服が、セーラームーンの世界では、あまりにもお洒落で、どんなよそゆきよりも素敵だった。

中学生になったら私も、あんな大人になれるのだと思っていた。あわよくば高校生のイケメンお兄さんとお付き合いして、運命の恋を繰り広げるものだと、まったく疑いを持たず、まじめに信じていた。

その為にも変身ブローチが欲しかった。私も変身して、こっそり世界を救ってしまいたかった。タキシード仮面は…ちょっと、憧れるというよりは「なんでその格好なんだろう」感が正直、強かったけれど。

土曜日の夜七時は本当に楽しみな時間で、セーラームーンのアニメが終わった後の時間帯に放送していたスラムダンクは、私には大人の話すぎてちょっとよくわからなかった。けれどもスラムダンクが流行りだした途端、従兄がバスケ部に入ったことはよく覚えている。私だって「美少女戦士部」があれば入りたかった。当時の友達と、食玩の一回り小さくできたグッズを持って「ムーンプリズムパワー・メイクアップ!」とか、少なくとも私は、本気で唱えていた。

私は、一縷の望みにかけていた。

信じていればいつか私も、変身できる気がした。セーラー〇〇になって、私もあの独特なコスチュームを着たセーラー戦士として活躍できるのだと、その望みをけして棄てはしなかった。

一番早熟な子で、小学六年で、処女を喪失している同級生も居た。親がラブホテルからコンドームを持って帰ってくる、そういう家庭環境にある子だったと記憶している。

けれども私はたとえ高学年になったってまだ、表には出さずとも、信じていた。自分だってとびっきりのヒロインになれるのだ、と。もしかすると明日にでも私は、まったくの別世界で、なかよしの巻頭を飾る漫画の主人公よろしく、変身し、世界を救うヒロインになれるのかも知れない、と。

現実はいつも面倒だった。私に理由のわからぬ敵対心を抱いていたのか、とにかく厄介な形で絡んでくる女の子がいて、彼女は私が傷つくようなことを言うのが大好きで仕方ないらしかった。彼女によってつけられた小さな小さな傷が、私にどんどんと重なった。その内に私の心はひん曲がった。母が留守にしていたある日、私はおもむろに、兄の仏壇の前に行ってこう念じた。「あの目障りな子を、殺してしまいたい。」と。

念じた、と言うよりは、告白に近かった。とっくの昔に天国へ行った兄だけに、懺悔でもするかの如く、告白した本音だった。兄は当然、何も語らない。だからこそ私は、天国の兄にだけこの気持ちを告げられた。「人を殺したい」だなんてこと、絶対に誰にも言えない。言ってはいけないことくらい、小学生の私にも理解できている。

だから私は、信じていたのだ―いつか必ず、自分がヒロインになれる日が来るのだと。その時にはきっと、殺したいくらいうざったいあの子なんて脇役になる。セーラームーンのうさぎちゃんのクラスの、名前も出てこない「誰か」程度にしか、あの子は所詮、なりえないのだ。

そんな私はある時、前述の「家の真ん前のサティ」のCDショップで、中身もよくわからないのに、ジャケットがセーラームーンだというだけで、3千円―おそらくお年玉とか、札幌のおばさんからのお小遣いであったろう、小学生には大金に近いそのお金を使って、一枚のCDを買った。

結局それは、映画一本分のセリフや音声が全部収録されているドラマCDとかいうやつで、当時のCDラジカセでは一度再生したらラストシーンまでずっと聴きっぱなしにするほか無い、小学生が楽しむには何とも面倒な、そんなCDだった。

それでも私は買いたかった。セーラームーンの、憧れの世界を、少しでも多く、垣間見る為に。

それが私の #はじめて買ったCD であることは、もう、説明するまでもないだろう。



#はじめて買ったCD

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