期待されていなかった、けどそれでも続けてきたよ、私。
私の中学の吹奏楽部はとにかく厳しくって、全道コンクールの常連で、金賞を取れないと悔しくって泣く、というレベルの、田舎の中学生にはちょっと荷が重いほどの部活だった。
私が中二を終えるまでブラスの顧問をしていたのは、噂では九州の学校にまでその名を轟かせているという、とにかく凄腕の名指導者・Y先生だった。あの当時で50代くらいだったと思う、背の高くて細身の、口癖が「ばかもん!」な男性だった。
私は確かに幼稚園からピアノを習ってきて(その割にちっともうまくなれなかった、マジで…)