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夜にしがみついて、朝で溶かしてライナーノーツ

常連さんにも、新規のお客様にも愛される、どこか懐かしくて、でも新しい、革新的な味。

クリープハイプの最新アルバム「夜にしがみついて、朝で溶かして」を全曲聴き終えて、そう感じた。

長くお店のことを知るお客様にも、そうそうこれこれ!と唸らせるお決まりの風味はしっかりと残しつつ、今までお店の前は通っていたけれど暖簾をくぐらなかった人にも好まれそうで、何気なくふらりと立ち寄った人にも通用する、最高な味付け。

ゆったりと時間をかけて、丹精込めてとったお出汁のような、愛情と創意工夫が詰まった黄金色に輝くスープのような、あったかくて、旬の素材の風味もしっかりと感じられて、ちょうど良い塩梅で飲みやすい。
けれど今までとは一味違う。唯一無二の心地好い味。

15曲のどれもが食べ飽きないよう趣向を凝らしたコース料理のようでいて、食べ終えたらまた1曲目から口にしたくなるような、替えの利かない大切な味。

発売以来、私の生活にすっかり溶け込むほど聴き続けている今作のライナーノーツを、じっくりコトコト真心込めてお届けします。

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M1 料理

とにかく料理をするのが苦手だ。「料理上手顔」なのに料理下手なのが昔からコンプレックスで、出来ることならば誰にも見られずに調理を終えたい。

段取り良く工程を進められないし、味付けも中々決まらない。レシピには記されない微妙なニュアンスを読み取れない。同時に2品作れば片方を焦がす。盛り付けのセンスもまるでない。

そんな私が進んで触れたくなる「料理」に出会えた。1曲目から、私はガシリと心を掴まれた。

「料理」という誰もが知る言葉とは裏腹に、堂々巡りの言い争いの中で解決の糸口が見えたのに、また振り出しに戻るような疑心暗鬼なイントロ。

徐々にそれが落ち着いたところから始まる歌い出しは、想像よりも明るくて穏やかだった。でも安心したのも束の間。

クリープハイプが調理したのは、愛と平和に煮汁をじっくり染み込ませて、皮肉を汁気がなくなるまで煮しめる、日本の家庭料理。

一筋縄ではいかない、終わりかけの男女の日常。

【箸の持ち方で 真ん中がわかる】
確かに食事を共にすると、相手の人となりが見える。
それほど深く理解していない相手なら尚更だ。

思い出すのは、運ばれてきた熱々のヒレステーキ。
気乗りしない相手の身の上話と引き換えに、食べ時を逃してから口にしたあの夜。

気分は下がりきって、一刻も早く帰りたいのに
仕事終わりの消せない空腹で受け止めた現実。
消化器官は正直だ。

お通しから残さずに全部食べてみたけれど、たまらなくやり場のない気持ちに包まれた。

適当に話を受け流していたけれど、終わりの見えない話の腰を折り、「折角なんで、食べましょう」と遮ってなんとか口に運んだヒレステーキ。

けれど、遅かった。
冷え切って固くなったその残念な食感の腹いせに、
その後も運ばれてくる支離滅裂なチョイスの料理を、ピッチを上げて平らげた。
あんなに不愉快だったのに、満腹感だけが私の心を少し沈めた。

ほろ酔いで帰宅するとすっかり眠くなった。
一人で横になって、いつも通り眠った。

話した内容はほとんど覚えていないのに、あの口の中でザラつく冷えた油分の感覚はいつまでも消えない。

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M2 ポリコ
 
苗字は珍しくて羨ましがられるのに、
「ケイコ」という昭和な名前が嫌だった。
でも今は悪くないな、とも思う。

「ポリコ」には親近感を持った。

私は昔から神経質で、些細なことに過敏で、あまり気持ちが落ち着かない子どもだった。
幼稚園の運動場でレジャーシートを広げると、時折舞う砂にお弁当が喉を通らなかった。

10代になっても校舎の汚れが目に入ると、給食の箸が進まない。そして今でも、私語が飛び交う店で耳に入る、下品な話し声に食欲が失せる。
今も昔も、ずっと変わらない。「気にせずに黙々と食べる」が出来ない。

些細な何かに引っ掛かって、その記憶がこびりついたまま明日へと向かう。もう随分と時が経って忘れていた筈なのに、消し去っていた筈なのに、ふとしたきっかけであのとき喉を通らなかった私の目に映る景色を鮮明に思い出す。

話し言葉も、活字も、自分の体から確かに発せられて、そして離れて、誰かの何かに触れる。
意図しないことも、安易な発言も、練りに練った作品も、たどたどしくても伝わる温もりも。
どんなに細心の注意を払っても、予想しない方向に受け止められることがある。

ポリティカル・コレクトネス、という言葉を初めて耳にした数年前。「ポリコレって何それ?」と、検索はしたけれど当時は完全には理解しきれなかった。

便所の落書きのような、SNSでの書き込みや世間の批評。
パリコレさながらに自己表現をした「つもり」の奇抜なファッションを身に纏う人たち、向けられる視線。

悪目立ちしたくはないけど、平穏な日々には満足できていないという矛盾。

勢いだけで無茶をして笑える逞しさを、私はこれまで一度も持てないでいる。
10代の頃はそれに苦しんだけれど、30代になってそれも悪くないなと思えるようになった。

完璧主義で不器用な私は、「ポリコ」とともに今日も1日懸命に生きる。ずっと見つからないちょうど良い塩梅を探りながら、日々歩き続ける。

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M3  二人の間

「ウチとコンビ組まへん?」
これまでの人生で2度そう誘われたのは、大阪という土地柄かもしれない。私は一度も漫才師を志したことはない。

1度目は、私とは正反対なヤンキーギャルの幼馴染み。2度目は、The女芸人感漂うお笑い好きな友人。

両方お断りした私には「漫才師」への底知れぬリスペクトがあった。

38マイク1本で、笑いを生み出す話芸。その場の空気を読み取りながら、絶妙な間合いで掛け合いながら、客席の心を引き寄せ、会場を温めてゆく。

私にそれが向いていないことは、自分自身が一番良く分かっていた。大好きだからこそ足を踏み入れたくない世界でもあった。

20年近く前に、大阪・千日前の路上でチケットを手売りする芸人さんに声を掛けられた。

ロックンロールが好きな私を瞬時に見抜いて、「えーどんなバンドが好きなん?あ、ハイロウズ?」と曲のタイトルを小粋に文字りながら、心地好い低音ボイスで、独特の間合いで、緩急をつけながら次々とライブのプレゼンをする。

そんなダイアンのユースケさんに、強く魅せられた。
即興で私だけに向けられた言葉のひとつひとつが、輝いていた。

どんなに時を経てもなお、鮮やかに残る記憶。
なんでもない芸人さんの日常は、私にとって特別な時間になった。

その日をきっかけに、私はダイアンのお二人を陰ながら応援してきた。この曲で表現される、誰にも真似できない空気感と間合い。絶妙なその相槌は言葉にし尽くせないダイアンの魅力だ。

それから 10数年が経ち、私はクリープハイプの音楽に出会い、大好きになった。

唯一無二の存在であるクリープハイプとダイアンとが、1つの楽曲を通して繋がっている事実が嬉しい。

こんなにもお洒落でほっこりして、愛おしくて堪らない楽曲は他にない。

今日もダイアンの漫才を見た。
相変わらずの絶妙な間合いと、2人の阿吽の呼吸。
お腹を抱えて笑える幸せ。
そして、今はクリープハイプのことを考えながら、ライナーノーツを書いて過ごせる大晦日に幸せを噛み締める。締切はもう間もなく。

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M4 四季

2020年4月、見事に咲き誇る桜を見て涙が出た。
この2年で世の中ががらりと変わり、自然と四季を感じられる有り難さが身に沁みるようになった。

何気なく目に映る、家々や歩道を彩る草花。
頬をかすめる風の匂いや質感。移り変わる景色。
そのどれもが力強く、優しく包み込んでくれた。

着実に歩みを進めるようなドラムのリズムと、
ギター1本で始まる歌い出しに襟が正される。

【年中無休で生きてるから疲れるけどしょうがねー】
この歌い出しにとても救われる。ずっと張り詰めてきた毎日の肩の荷がスッと降りる。

初々しさとあどけなさの残る春。
自然と気持ちが上向きになり、余裕の持てた夏。

小気味良い転調とともに、
大人への階段を上り始める秋。
ダサい秋の思い出への照れ隠しのような、
少し浮き足だった音色。

秋から冬への移り変わりは、
シンバルの音色が優しく降る雪を想起させる。
そしてまるで達観したような冬がやってくる。

最後にまたギター1本で締め括られるのが、季節が一巡して出発点に立ち帰っているようで、寒い冬が明けてまた春がやって来るあの感慨深さ。心にグッと来る。

今度4月が来たら、次はこの曲を思い浮かべながら、あの桜を見上げようと思う。見事に咲き誇る桜を見て涙した、少し照れくさい春の思い出。

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M5 愛す

小学生の冬、学年一のガキ大将にコートのファーを数本引っこ抜かれた。放課後になると、ほぼ毎日、帰り際に私のコートのファーを引き抜きにやって来る。

もう!やめてよぉ、と困り顔で言う私に、ヘヘッと笑顔でごまかす彼。そんなやり取りが何度か続いた。

中学生になったある日。風の噂で、その頃彼は私のことが好きだったのだと聞いた。鈍感な私は、そこで初めて彼の気持ちを知った。

冬になると、ふわふわのファーの白さと、不器用な彼の笑顔を思い出す。

柔らかで優しい音色、低音の穏やかで丁寧な歌声。
曲全体が今までにないポップスのような雰囲気に包まれていて、まるで1本の映画を観ているような気持ちになる。

ブスと言ってばかりで全く素直になれなかった主人公が愛した君への後悔の思い・後戻りしたい気持ち。

ブスと韻を踏んだ、公共交通機関である「バス」。
定刻通りにルート上の停留所を確かに経由して、そこにだけ短時間停車をしながら前進する乗り物。

個人の気持ちとは関係なく、止めようのない時の流れや他人の心の移り変わり、状況の変化との対比が、穏やかな曲調と歌い方によってゆったりと心に響く。

バス通学での思い出なのかも知れない。
毎日2人一緒に乗っていた時刻のバスは変わらずやって来るけれど、進学や就職でもう同じバスには乗れなくなって。その日が来るのは分かっていたけれど、最後まで素直になれなかった。結局思いを告げることなく、無情にも時間は過ぎてゆく。

切なくて、愛おしい、大切なひとつの物語。

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M6 しょうもな

本気で勝負に出るときの大阪弁がたまらなく嬉しい。

「愛す」の流れをそっとなぞるような柔らかなメロディーから、突如カンカンカン!!とゴングを打ち鳴らすような、力強いカウントで空気を一変させるイントロが大好きだ。

世間の声に凹み、一度は消化しようと試みたところから、込み上げた怒りのパワーを楽曲へと昇華させると一気に戦闘態勢に入る。スイッチが切り替わるあの瞬間の、無敵の高揚感。

覆してやる!見返してやる!と言わんばかりの溢れんパワー。ドカドカと力強く鳴るドラムやひずんだギターの音色に込められた初期衝動感がたまらない。

「しょうもな」は「愛す」発表時の世間の声に対して生まれた楽曲とのことで、続けて聴くことで生まれる曲順の意味と、その後の展開が痛快。

これぞクリープハイプ!と思える言葉遊びをたっぷりに、御自身と向き合う尾崎さんのこれまでの思いや葛藤が男女の関係性にも重なる。

スポーツ選手のいう「ゾーン」に入った時の圧倒的な無敵感。疾走感のあるサビで全てのしがらみや雑音を振り切って突き抜ける感覚が爽快。
何度も繰り返し聴きたくなる勝負曲。

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M7 一生に一度愛してるよ

変わることの強さとしなやかさ。
それを受け入れられずに、変わらないことを信じて、安心感に浸ってしまう。

10年前、親友の結婚後、彼女を取り巻く環境が一変した。10代からずっと仲良く過ごしてきて、もう何もかも知っていると思い込んでいた。

けれど、日に日に増える彼女の知らない部分が見える度に、それまでに味わったことのない気持ちに押し潰されそうになった。

【寂しいな もうあなたの1番じゃないんだね】の歌詞通り、彼女の優先順位の変化を受け入れることが出来なかった。

あれほど彼女の幸せを願っていたのに、自分勝手な気持ちばかりが溢れる当時の私に、曲中の主人公を重ねてしまう。

クラッカーが弾け飛んだようなポップで明るい曲調が
、歌詞の内容を重く感じさせないでいてくれる。

描かれた女性の人となりが自然と思い浮かぶ。
滑舌が良くて、さっぱりとした性格。本当は甘えたいのに、いつも強がって中々素直に甘えられない。自分の意見はつい強めの言葉に乗せて放り投げてしまう。

そんなイメージの彼女の好きなバンドと恋人への相反する思いが描かれたこの曲は、出会った頃のクリープハイプのイメージそのものだ。

曲中の「ラブホテル」や「愛の標識」に呼応する部分も、そしてファーストのタイトルで終わるところも、やっぱりクリープハイプそのものでドキドキする。

最近、冒頭の彼女と昔のようによく遊ぶようになった。妻になっても、ママになっても、彼女の真ん中は何も変わっていなくて、ずっと魅力的なままだった。

大きな変化を感じたときの戸惑いは、時に判断基準を狂わせる。

変わることの強さと、変わらないことへの安心感。
どちらも欲しくなる私の我儘さは、この先も中々治りそうにない。

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M8 ニガツノナミダ

ピンと張り詰めた冬の冷たい風。
粉雪の舞う向かい風の中に突き進んでいくような
透明感のあるサウンドに包まれる。

CMサイズの30秒が終わった後の転調。
寂れた遊園地の着ぐるみを着た係員が、頭の部分だけを取り外し、首から下は着ぐるみのままで小休憩を取る。気分転換に煙草をくゆらせながら、ほんのり暖かい休憩所で下らない話をしながら愚痴を吐く。
そしてまた時間が来ると着ぐるみをかぶり、園内に出ていくという、そんな光景がふと思い浮かんだ。

激しいスポーツの後のクールダウンのひとときのような、ゆったりと身を任せて頭を空っぽに出来るサウンドが心地好い。

30秒間のCMソングという制約からの解放感と、
大手企業のCM案件で世間やファンからも「魂売った」と言われることを見越して、予め30秒を経過した後にチクリと突き刺す針を仕込んでおく用意周到ぶり。もうたまらなく大好きだ。

縛られたくはないけれど、結局何かしらに縛られてながら生きていて、けれどその制約の中でどれだけ自由に自分らしく、クリープハイプらしさを表現できるかと挑戦している姿はとても誇らしくて、心強い。

今まで何となくその場しのぎでやってきた私自身の仕事に、この1年間、余計なプライドは捨てて本気で取り組んでみた。
かつてない程にとんでもなく忙しい日々だったけれど、1年経ってようやく成果を残せるようになってきたことが、たまらなく嬉しかった。形に残る仕事ができたことは、確かな自信につながった。

来年もこの曲のように、時には緩急をつけながら、しっかりと自分の足で走り続けたいと思う。まだまだ諦めずに、枠の中で出来ることの可能性を信じたい。

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M9 ナイトオンザプラネット

ネオンの滲む夜空、
ゆったりとくゆらすたばこの煙、
夢かうつつか区別のつかないまどろみの時間。

眼鏡を外したときに見える、滲んだ輪郭に
ぼんやりとした色彩を捉える夜の景色が好きだ。

認めたくないけど認めざるを得ない時の流れと、ふとしたきっかけで思い出す、とりとめないけれど大切な時間の記憶。

「今までで1番思い出に残るデートは?」と聞かれ、真っ先に思い浮かんだのは「今から朝日が見たい!」と仕事仲間に無茶を言った、ある明け方の記憶だった。

働いていた小さなライブハウスを夜明け前に飛び出して、弟みたいな彼のビッグスクーターに跨がる。朝日を見るためだけに海へと向かう2人の、無敵の疾走感。

早よせな朝日に間に合えへんやん!と珍しくわがままを言って、思い付きの無茶振りを叶えて貰った、12年前の思い出。

間に合ったー!と誰もいない堤防で叫んで笑った後、並んで腰かけて朝日を見ながら飲んだ、自販機のホットミルクティーの味は今でも忘れられない。
次の日は、2人して寝坊してバイトに遅刻した。

そんな彼も今は2人の子を持つ父親になっていて、今も同じ大阪のどこかで家族4人幸せに暮らしているらしい。

たった数時間の思い出が、ずっと自分の中でかけがえのない時間になって心に残っている。つま先の先を照らしてくれる思い出。よしまた明日からお互い頑張ろうね、って心の中で呟ける思い出。

【この先つま先の先照らしてくれれば】
この一節のように、人生の中で焚きつけるような、燃え上がるような原動力にはならないけれど、
ふと立ち止まった時に、心がほんの少し温まる、またつま先を上げて前に進めるほんの少しのきっかけになるような出来事。

大事件ではないけれど、大切で唯一無二な日常の中の記憶が込められているようで、私の中でかけがえのない1曲になった。

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M10 しらす

わらべ歌のような、ジブリ作品を彷彿とさせるノスタルジックでファンタジーな側面と、伝承や神話、伝説の舞台となるような厳かな日本の風景を感じさせる楽曲。

ジブリ映画の中で1番思い出に残る「平成狸合戦ぽんぽこ」を思い起こした。

コロナ禍で、日々当たり前に過ごすことへの感謝の気持ちが強く芽生えた。物事を五感で受け止められることへの有難さが身に沁みた。

自然が生みだすきらきら輝く銀色の魚の目の色に、純粋に感動した子ども心をふと思い出す。
空に輝く満点の星空をしらすの瞳の中に感じながら。

鈴の音色にこの世からあの世へといざなわれているような、地上と遥か天空とを対比しているような、今まで味わったことのない神秘的な気持ちになる。

1番から2番へと移る時、美しいオーロラのような不思議な音色で、"空腹を満たす食事という行為と、その対象であるしらす"から"猫"へと、曲中に描かれる対象がより私たちに身近なテーマへと移行する。

広い宇宙の中で自分自身が今こうして生きている、という不思議な感覚は、コロナ禍に時折考えた私自身の終わりのない思考のテーマでもあった。

米粒一粒残さず食べるように厳しくしつけられた私にとって、幼少期を思い起こさせる、じんわりと心に響く1曲。

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M11 なんか出てきちゃってる

緩んだネジの隙間から出てきちゃってる「何か」。
それは物質ではなく、何かアブノーマルな、少数派の思考のようにも感じる。

欲望、不平不満、アナーキズム、所帯染みた雰囲気、エゴ、依存……それともポリコ(ポリコレ)との対比なのか。考え始めると止まらなくなる。

普段は理性で抑え込まれている何かは、
過度な飲酒や極端な感情の動きと引き換えに、簡単に弾け飛んで表面に出て来てしまう。

人は誰しも爆弾のような何かを抱えて生きていて、
見せ方次第ではタイミングとセンスで武器にもなるけれど、一歩間違うと人生が狂いかねない危険性がある。

エゴたっぷりの語りが主体となって、パワハラじみたそれは、相手の同意を強要するなど、社会全体の歪みを感じさせる曲。

「ねぇどうする?」の直後の転調からは、悪だくみを閃いた瞬間の心の動きや、良心の呵責、それによる動揺を感じ取った。
ドラマならCMまたぎの、場面が切り替わるあの瞬間

敢えて歌詞の掲載を1フレーズに絞った意味が伝わってくる。本当に怖いのは、まだ知らない自分自身かも知れない。

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M12 キケンナアソビ

「あんたほんまに男運ないなぁ」と言われる度に、「男運がないんじゃなくて、私の見る目がないんです」と毎度律儀に訂正してしまう。

「運」のせいにするのは自分自身に無責任だ。そんな生半可な覚悟ではない。
そう思ってしまう私の生真面目さと、恋愛に対するセンスの無さは10代の頃からずっと治らない。

イントロから漂う不穏感。後戻りできない関係性。
後腐れなかった筈だけれど、そうではない2人。

有名人と一般人との恋愛のようにも思える。非現実的で、アブノーマル好きな、秘密の関係なのかも知れない。

【夕焼け小焼けのチャイムが鳴って 良い子は早く家に帰りましょう】
一緒に過ごしても、当日中に別々の場所へと帰る2人の関係。時間的な制約がいつも付きまとうから、嘘の言葉よりも2人が今一緒にいるという確実な証を欲してしまう。
相手の体温や、匂いを感じていたい。スマホで事足りる視覚や聴覚よりも、触覚と嗅覚で相手を焼き付けておきたいというしがみつくような思い。

ラストの【夕焼け小焼けで真っ赤に燃えて】では
二人の関係性を繋ぎ止めるために積み重ねた真っ赤な嘘の数々と、
SNSの炎上や週刊誌のスクープで燃え盛って焦げ付いた2人の関係性を表しているように感じた。

アウトロなしでスパッと曲が終わるのは、余韻も無く突然終わりがやってきた二人の関係を意味しているのか。それとも、相手が突然亡くなったのかも知れない。
【真っ赤に燃えて】は心づもりが出来なかった別れを受け止めきれずに、火葬場で呆然と立ち尽くす姿にも思えてしまう。

また、【燃えた】ではなく【燃えて】という表現に、今も終わらず俯瞰で見る景色が続いているという余韻が残る。

サスペンスの空気にも似た、ヒリついた想像を掻き立てる1曲。

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M13 モノマネ

何気ない日常の微笑ましいシーンが、ドラマの回想シーンのように次々と思い浮かぶ。

男女のズレは些細なことで始まって、
気が付けばもう取り返しの付かないほどにズレきってしまう。

最初のうちはズレ始めた現実を受け入れられなくて、
気のせいであって欲しいと気付かないフリをする。
そして段々と確信に変わり始めたときには、
もうとっくに修復は出来なくなってしまっている。

バイクも、プロレスも、瀬戸内の自然も、パズルゲームも、夜中に食べるファストフードも、どれも最初は全く興味がなかった。

彼と共有できる時間や喜びが欲しくって、一緒に楽しむうちに気が付けばどれも本当に好きになっていた筈だけれど、
数年の時を経て、好きだったことが素直に楽しめなくなって、いつしか本当の気持ちに嘘をつくようになっていた。楽しいフリをしているだけの自分に気が付いて、落ち込んだことを思い出す。

お互い多忙ですれ違いの交際から遠距離恋愛を経て、結婚して同じ家に暮らせるようになったけれど、人生は中々上手くはいかなかった。

もう戻ることはないあの時の2人のことを、
時折探してしまうその気持ちがとても刺さる曲。

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M14 幽霊失格

心霊話が大の苦手な私でも、こんなにも胸がぎゅっと締め付けられる切なくて温かいお話なら、喜んで聴きたくなる。

いかにも幽霊、な冒頭から一変。
ほんの少しのミュートの後の、ハートウォーミングな演奏が胸を打つ。

これほどまでに相手のことを愛しく思える関係性が尊くて、美しい。

恋人を亡くしても、お互いを思い合う気持ちは全く変わらない2人。
生身の体のない恋人をこれまで通りに心配して、見届けている描写が新鮮で、でもなぜか懐かしい気持ちにさせてくれる。

幽霊の顔色の悪さを心配してちゃんと食べてるか確認したり、部屋のドアを通り抜ける姿を見てさすが幽霊と感心したり。

映画「ゴースト」よりも、もっとずっと身近に感じさせてくれる、等身大の恋愛模様が愛おしい。

幽霊も自分勝手に自由に化けて出られるようには思えないし、滞在時間も限られている気がするから、彼はきっとその権利の全てを彼女に使い切ってでも、化けて会いに来ているのではないかと思う。

【今日は珍しくまだついてくる】の一節から、
それが容易ではないことが伝わってくる。

たまには昔のように彼女と一緒にゆっくり過ごしてみたくて、そのために長時間化けて出る努力していたのだとしたら、もうそれだけで体力や気力を使い果たしてしまって、【せっかくの丑三つ時にも眠そう】なのも頷ける。

私の母方の祖父は愛妻家で、家族思いな人だった。
ユーモアのある、真面目で律儀な人柄が大好きだった。

20年前、祖父が亡くなったときは酷く落ち込んだ。出棺のとき、取り乱して膝から泣き崩れる母の姿が今でも目に焼き付いている。

けれど、四十九日法要の時期になると、
自分の法事会場で朝早くからせっせと座布団を綺麗に並べる祖父の姿を夢に見た、と母が嬉しそうに笑ったことを思い出した。

様々な愛の形を描く尾崎さんだからこそ切り取れる、クリープハイプ流ラブソングの真骨頂。

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M15 こんなに悲しいのに腹が鳴る

「提案があります。ここに白く影が見えるので、このまま詳しく検査を続けてもいいですか?」

先月末に受けた婦人科検診で、腫瘍が見つかった。
ドラマでよく見るように勿体ぶられることもなく、検査途中で呆気なくさらりと告げられた。

細胞採取の検査で、体の奥に激痛が走る。
あられもない姿でとんでもない不安に襲われて、自然と声が震えて涙が零れた。

腫瘍が悪性か良性か、検査結果が出るまでの2週間。
気が気でないのに、お腹は空く。なんなら検査直後でさえも、ぐぅ、と間抜けな音を立てて、お腹が鳴った。呆れるほどにお腹は空く。

私がそうこうしている間にも、当たり前の日常は流れていく。変わらず会社へ出勤して、いつも通りの時刻にお弁当を広げる。口に運ぶと、変わらず美味しくてにんまりする。

検査結果は良性。あれから何の制約もなく、元気に日常を過ごせていることが心から嬉しい。心穏やかに年末年始を過ごせることにホッとする。

ライナーノーツの締めくくりが、完全に私的な内容になってしまったけれど、包み隠さず私という人間が書き連ねた言葉、という気がする。

 15曲目の「こんなに悲しいのに腹が鳴る」は
1曲目の「料理」へと繋がっていく。
そんな終わりと始まりが繋がるこのアルバムのライナーノーツの締切が2021年の大晦日であることにも納得する。

これほどまでに私自身に起きた沢山の出来事や思い出、これまで関わってきた人たちを思い起こさせてくれるアルバムに出会わせてくれたこと、このタイミングで私たちの耳に届けてくれたことが本当に嬉しくて、有り難い。

「夜にしがみついて、朝で溶かして」を聴きながら過ごすこの2021年から2022年への年越しは、きっとこの先、私のつま先の先を照らしてくれる。

クリープハイプの音楽を信じている。
今までも、そしてこれからも。
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#クリープハイプ #ことばのおべんきょう

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