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ボランティア活動を始めた責任。-3月11日によせて。-

こんにちは。森賀です。

また、3月11日になりましたね。
日本中が復興・復旧、そして寄付、ボランティアと騒がしくなります。
そうですね、少し僕がボランティアを始めたきっかけの話をしようと思います。

僕がボランティアに初めて参加したのは2013年の夏です。
中学1年生の僕は、当時、市が主催していた岩手県陸前高田市への学生ボランティア活動に参加しました。

ボランティア活動とはいうものの、発災当時に陸前高田や東北地方にいらした方から話をお聞きし、勉強して帰るというもの。そして、動く七夕祭りに参加するというものでした。

活動の中には、現場をみて回る視察ツアーや気仙沼水産センター、中尊寺を訪れるものも組まれていました。

そうですね。ボランティア活動という名の持った観光です。。

それに、陸前高田にいったら、僕たちには宿があって、暖かいご飯もでて。なんとも高待遇なことか。地元から陸前高田へ行く交通手段もあったんですから、なんとも言えないボランティア活動です。

しかし、当時の僕は実際に現場をみること、経験した方たちからお話を伺うことに充実感を強く持っていました。達成感すらあったかもしれません。

それでも中学3年生の夏まで、毎年通っていくとそれは恐怖に感じるようになりました。

道路脇に出てくる展望台という名の盛り土。雑草が生い茂った隙間から見えるコンクリート。1本だけ立っている松の木。普段ならあるはずもない、車の上に乗っている漁船。ビルの遥か高いところにある水が来ていた跡。そして、発災当時の話とこれからのまちの話。

”観光ツアー”を通して、たくさんの人にお会いしたり、いろんな場所に行ったりしていく中で、なんでここに立てているんだろう。何をみていて、何が見えていないんだろう。誰かの声を拾えてないんではないのか。一言でも聞きそびれたことはないのか。。。

この記事を書いている中でもそんな恐怖に覆われていますし、陸前高田のことを忘れられたことはないです。ずっと頭の中に、中学生で見た光景があって。。正直、今の東北を、陸前高田を見る・行く勇気はないです。

それでも、一度ならず三度も陸前高田を訪れた僕には今の陸前高田を見る責任はあると思っています。でも、それを果たそうとしていない。なんと無責任なことか。そう思いながらの生活です。

多分、陸前高田にいけない気持ちとか、どうしたら良いんだろう。を別の形で発散していくためにボランティア活動を始めました。部活に勉強に余った時間はボランティア活動。誰のためでもなく、ただただ責任逃れをしてきただけです。本当に無責任だと思います。

今年は発災から11年。それでも、僕の中では最後に行った、2015年のままです。何が変わったのか・何が変わっていないのかを今年こそ、自分の目で見ようと思います。それは、今年自分がしないといけないことだと思っています。

さて、今の東北にはもちろん、熊本・広島・熱海・新潟・・・・上げていくとキリがありません。僕たちには何ができるんでしょうね。考えていくこと、実際にみてみることを続けていかなきゃと。それがボランティア活動をしている責任かと思います。

追伸
絶対に寄付だけが僕らのできることではない。webブラウザの検索で寄付されるほどか?地域を復興・違う形に再構築できるのは検索だけできるはずがない。

じゃあ、どうするのか考えませんか?

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