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絶望したくても絶望しきれない,この世界に何を望むか

実は7月2日に26回目の誕生日を迎え終えたんですが,
(高校や大学の卒業年齢から計算しないと自分の年齢を把握できないのをなんとかしたい…)

その日は確か色々と追われてて,誕生日だったのを全く自覚してなかったのは言うまでもない話.
(Facebookでメッセージを下さった方に未だに返してなくてすみません,ボチボチ返していきます)

と置いといて,改めてメッセージを下さった方々,本当にありがとうございます!

もう早くも博士後期課程2年目を迎え,弊ラボも(やっと?)引越しが終え,研究活動も捗るぞーと思っていたら,まさかのコロナウィルスの影響で研究協力者との対面実験の実施を止むを得ずに控えることになるとは思ってもいませんでした.

ただ,その代わりに,この4ヶ月間は私が思い描く博士論文の本質とは何かをじっくり向き合える期間にもなり得ました.

しかし,それでも言語化できず,今でも常にぶつかり続けています.

これは何故かと言いますと,単純に題目の通りで.

絶望したくても絶望しきれない,この世界に何を望むか

小さい頃から思ってきてて,高校生?大学生?の時は明確に自覚してて,何度かと自暴自棄になる程でした.

そして,大学院生から少しずつと

絶望したくても絶望しきれない,この世界に微かな希望をもたらそう

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と思うようになっていき,修士課程の最後の国際学会発表でのタイ滞在していたときは,いつの間にか博士論文の本質から生み出す新しい概念について元指導教員とあれこれとずっと議論するように.

小さい頃から常に周囲の人々に迷惑をかけてきて,そして今弊ラボやxDiversityの皆さんからサポートしてもらっている,こんなみっともない私が何とかと微かな希望をもたらそうと博士論文の本質を向き合っている日々を過ごしています.

以上,現状報告と意思表明?でした.

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