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「ここにいるよ」と叫んでみても、誰からも…

一昨日から今日まで夏季休暇を取得し転職活動を行う予定だった。2日目までは順調に行っていたけれど、昨日身内の人間が体調不良で検査したところコロナ陽性の結果が出たため、3日目の転職活動は中止。同居している人間は症状がなければ健康に留意して外出等は問題ないとのことだけれど、事情が事情なだけにこちらから連絡をして今日の面接に関してはお断りした。馬鹿正直に伝えてチャンスを潰してしまったのなら身も蓋もないけれど。こればかりは馬鹿正直に伝えないと駄目だと思う。そこが自分の良さでもあり、弱さでもあるのかなと改めて思った。

(コロナ罹患者は5日間外出を控え、さらに10日間は健康に留意して、問題がなければ大丈夫とのこと。身内は、症状がなければ健康に留意しつつ通常通りの生活でOK…と医者には言われたそうです(文面も確認)地域で対応が代わってくるのだろうか…)

本来なら週の中日の3日間ではなく月曜日・金曜日も休んで転職活動と「休息」に専念したかったところだけれど、現職のお仕事が溜まりに溜まっている…というよりかは、書類の整理整頓が全くできていないが為に通常業務に支障が出てきてしまっている状況の為、明日から出勤せざるを得ない状況。いや、時間をみて私も病院に行き検査するかもしれないので(症状は出ていないけれど)当面出勤できない状況にしてしまうのも悪くはないかなって思っている。それで「これまで私が訴えかけてきたこと」を全く理解していない結果が出るようなら、「完全に踏ん切りをつけることができる」からそれはそれで悪くはないと思っている。貴重な有給休暇が減ってしまい、面接に行く機会が制限されてしまいかねないのでそれだけは避けたいのが本音の本音ではあるけれど。

まあ、私がコロナに罹患して休んだとしてもなーんにも変わらんよ。むしろ、さらに追い込まれ、これまで積み上げてきたものを簡単に壊されると思う。それだけクソな状況に自分が置かれているということ。「助言」を「否定」に受け止められ、こちらの存在を「全否定」され、けれど、自分達が困った時だけ「どうしよう」という空気感を蔓延させる卑怯な人達の為に。

自分自身の人生を振り返ってみるとそんな人達の為に、大切なものを失い続けてきたと思う。今自分が抱いている妄想も妄想でしかないだろう。けれど、まあ間違いなくそれは現実のものとなって押し寄せてくると思う。何故そう思うのか。「そんなことの連続だったから、私の人生は」

そんな立ち位置にいたせいなのか、そんな立ち位置に追いやられていたせいなのかわからないけれど、ご自分達の都合がよろしい時だけは私の存在はそこにはない。「ここにいるよ」とどこかで聞いたことのあるような言葉を叫びたくもなるけれど、「ここにいるよ」と叫んでも無視されますから。そんな時だけでは。何故そう思うのか「そんなことの連続だったから、私の人生は」

「都合のいい男扱いされ続けてきた人生だった」とnote上で振り返ることが多かったのはそんな経験が実際にあり続けたからだ。そして、まだそれは現在進行形で続いている。今の自分の年齢になるまで続いてきたことなんだから、これから先も続いていくだろう。そんなもんだ人の人生って。

でも、せめて「ここにいるよ」と叫んでも無視されない存在にレベルアップはしたい。

「ここではない、どこかで」

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