見出し画像

気づきの瞑想へようこそ

こんにちは、せおり  と申します ପ(⑅ˊᵕˋ⑅)ଓ

ひょんなことから、浦崎雅代さんがご紹介されるタイの森林寺院スカトー寺のお坊様のご法話のファンになり、仏教を少しずつ学んでいます。

日本の仏教とはまた違い、「心のトレーニング」や「苦しみを消していく方法」を、日常の分かりやすい言葉やたとえで具体的に教えてくださるお話を読むと、目からウロコが落ちることの連続でした。

その心のトレーニング方法が、日本では「気づきの瞑想」と呼ばれる「チャルーン・サティ」です。これはタイ語で、日本語に訳すと「気づきの開発」という意味だそうです。

「エッッ。。。「気づき」って何?」

と、「気づきの瞑想」という言葉を初めて知ったとき、私の頭のなかはハテナマーク(?)でいっぱいになりました ପ(⑅ˊᵕˋ⑅)ଓ。

ちなみに、「気づきの瞑想」には「手動瞑想」と「歩行瞑想」の二種類があり、「手動瞑想」はこんな感じです。(スカトー寺で30年以上前に出家なさって今は副住職でいらっしゃる日本人僧プラユキさんの動画です)


「エッッ。。。こんなニコニコしてふんわり楽しそうな事で、修行になるの?」と思い続けて、約2年、ごくたまに瞑想会に出たりしつつ、毎日短い時間ですが、なんかやり続けております。

このマガジンでは、ゆるゆると、その「気づきの瞑想」をご紹介していきたいと思います ― といっても、ほぼ、読んだ本の感想だったり、引用だったりですが₍₍( ´ ᵕ ` *)⁾⁾

少しでも、何かのご参考になれば幸いです❤


さて。

最初に、ご紹介したいのは、一通のお手紙です。

差出人は、スカトー寺のご住職で、プラユキさんの師でもあるカムキエン師。宛先は、在家でご修行を積まれたカンポン・トーン・ブンヌムさんです。

私はあなたの善き仲間になれることをとても嬉しく思います。

修行に関して誤った方向に陥らないように導くお手伝いをいたしましょう。自分自身を見つめ、感じていく瞑想のやり方をお勧めします。たとえ体が不自由で横になっていたとしても修行は可能です。

手のひらを動かしてひっくり返すときの感覚を感じてご覧なさい。知らず知らずに考え事が起こってきますが、その考えに惑わされず、体に戻るように。体がここにあることを意識して、よく注意して観るようにしましょう。これを「パーワナー(心の成長、修養、智慧の開発)」と呼びます。

パーワナーとは、気づくことに努めることで、静けさを求めるものではありません。それによって自分自身気づくことがよくできるようになれば、迷いが少なくなり、真理が明らかになっていくでしょう。

(『「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方』(カンポンさん著、浦崎雅代さん翻訳、プラユキさん監修、佼成出版社刊、p. 80より 書簡の前半を引用))

カンポンさん、首から下がほとんど麻痺されているという大きな障害を持ち、外出もままならぬ身ながら、お家のベッドの上で、お一人でこの「手動瞑想」を行うことで、修行を進めて行かれたのですね。

直接お会いしたことはありませんが、カンポンさんのご修行の姿には、在家でも、また頻繁に教えを請うことができなくても、方法を間違わなければ、道を進んでいけるのだな、と、大いに励みをいただきました。

また、このお手紙からはカムキエン師の優しさ、慈愛に満ちたお気持ちが伝わってくるのと同時に、「体の動きに気づく」という「気づきの瞑想」のベースをもれなく説明しておられるように感じました。

このお手紙、とっても好きで、この本の中でもこの部分を何度も読み返しています。ପ(⑅ˊᵕˋ⑅)ଓ

次回のnoteでは、『「瞑想」ってなあに』的なことをゆるゆる取り上げる予定です。

初めてのnote、最後までおつきあいいただき ありがとうございました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?