見出し画像

柳田国男・高木敏雄の『郷土研究』に投稿していた僧侶・三浦魯一の会社員時代?

 以下の記事で高木敏雄・柳田国男の編集していた雑誌『郷土研究』に投稿していた三浦魯一という人物を紹介した。三浦は大分県のお寺の住職であったが、『郷土研究』に投稿していた時期は会社員でもあったようだ。

『郷土研究』第1巻第7号(1913年9月)に三浦は「豊州俗伝」を投稿しているが、この記事の三浦の紹介に「明治製糖会社」とあり、この会社に勤務していたようだ。明治製糖会社は渋沢社史データベースで以下のように紹介されている。

欧米で糖業研究を学んだ相馬半治(そうま・はんじ、1869-1946)は台湾で糖業指導に当たり、渋沢栄一らの協力を得て1906年(明39)台南に明治製糖設立。栄一は発起人、創立委員長、相談役を務める。(後略)

この会社の設立には渋沢栄一が関わっていたようだ。三浦はこの会社を退職して地元である大分県に帰り住職になったのであろうか。

よろしければサポートをよろしくお願いいたします。サポートは、研究や調査を進める際に必要な資料、書籍、論文の購入費用にさせていただきます。