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7-2.「風景」を撮る

『動画で考える』7.ありふれたものを撮る

「風景」を時間をかけて撮影してみよう。

「風景」は素晴らしく豊かな被写体だ。
映像も音声も刻々と変化し、驚くほどに豊かな表情を見せてくれる。

ある公園のある時間帯を動画で撮影してみよう。
風で枝葉が揺れ、雲の流れとともに日の当たり方が変化し、人々のざわめきや小鳥たちのさえずりが、近づいたり遠ざかったりする。ビデオカメラを三脚に据えたまま、人為的に操作しなくても、全く見飽きる事がない「風景」の表情が記録される。

あるとき私は、知り合いの女性と公園のベンチに腰掛けて、長いこと語り合い、やがて話すことがなくなってからも黙ったきりで、二人で目の前の風景を眺めていた。

その風景は、冬の荒涼とした茶褐色の濃淡に埋め尽くされ、落ち葉はささくれ立った音を立て、枯れ枝は鋭角的に視覚的に突き刺さってくるように思えた。

その時私は直感的に気が付いたのだ。この風景は、彼女の心象風景だ、と。どうしてそう思ったのかわからないが、確かにそのように確信が持てたのだ。隣で沈黙して、私と同じように目の前の風景を見つめている彼女の、心理的な状態が、まるまる外部に展開して、目の前の風景として広がっているように思えたのだ。

おそらく二人で話をするうちに、彼女の考え方や感情に深く影響され、心理的な一体感を持っていたのだろう。ものの見方や感じ方が同調して、目の前に広がっていた風景も二人とも同じように受け止めていたのかもしれない。

彼女の話は、辛く哀しい過去の体験に関するものだったが、彼女にとっては、目の前の風景は古い記憶を引き出すことと同調して、その色や形、動きや音は、辛く哀しい表情を帯びて感じられただろう。そして、その話に同調した私も、その風景を同じ心理状態で見ていたのだ。

言い方を変えれば、私は彼女の精神世界にすっかり取り込まれて、その中にいたのだ。私たちは、通常は自分自身の精神世界の住人だが、あるときには、非常に強い影響力を持つ他者の世界に取り込まれて、そこで考えたり行動したりすることがある。

その風景を自分がなぜ選んで撮影したのかを考えてみよう。

動画で風景を撮影することは、自分の精神世界が反映された風景を撮影することであり、またある時には、自分と他者が共有した精神世界が反映されることもある。場合によっては複数の人々が集団で共有した精神世界が反映されることもあるかもしれない。

そのような風景が映し出された動画を、別の場所で見た誰かは、その背景にある精神世界にやはり同調するのだろうか?誰かが、ある精神状態で撮影した動画を見た誰かは、その精神状態に同調するだろうか?

映画やテレビ番組の撮影は、商業的な制約の下で決められた様々な条件でしばられているので、撮影の日にちや場所・時間、誰が何をするのかまで綿密に計画されている。しかし個人で動画を撮影することには、何の制約もなく、自分ひとりで勝手気ままに、思いついたときに・思いついた場所で、いつでも撮影を開始することが出来る。

そこでもし、あなたによってある風景が選ばれたとすると、それは極めてあなたの個人的な都合によって選ばれた風景だ。それは、よくある観光案内のPR動画のようにパターン化された風景ではなく、あなたの人生のある一点において選び取られ撮影された特別な風景だ。

その場所も、時間も、動画を撮影するタイミングも、全体から切り取る微妙なフレームのサイズも唯一無二で、あなたにしか撮影できない風景だ。それは濃厚にあなた自身を投影していて、それを視聴する他者にとっては、あなたと向かい合っている様に、あなたの言葉を聴いている様に、感じられるかも知れない。

風景を撮影するあなたもまた、風景の一部なのだ。

目の前の「風景」にビデオカメラを向けて撮影をスタートする。そしてそのままカメラを自分の足下に向けて降ろしていくと、あなたと「風景」は一つながりで、あなたも「風景」の一部であるという当たり前なことに気が付く。カメラをドローンに渡して、あなたの頭上を上空に向かって視点が移動していくと、徐々にあなたは「風景」のなかに飲み込まれていく。

風が強く吹けば、あなたの髪の毛は足下の枯れ草と同じ方向にたなびくだろう。砂埃は辺り一面に舞って、あなたの顔も衣類も、「風景」全体が同じ色に染まっていく。あなたは「風景」の一部であり、「風景」はあなたの一部である。その様子を記録した動画を見た視聴者は、あなたと「風景」が一体となった情景を見ている。

視聴者はあなたの表情を見て、あるいは手振り身振りを見て、あなたの内面を読み取ろうとするのと同じように、「風景」全体を見てその背景にある精神世界を読み取ろうとする。そしてその視聴者もその「風景」に没入し、あなたの内面世界を理解する。そこには言葉による説明は不要だ。

誰からも頼まれることなく、あなたが一体化するための「風景」を探しに行こう。そしてその風景に一体化した自分自身を撮影してみよう。「風景」の中にあなたが立っているだけの動画を見て、あなたの友人はそこに何を見るのだろう。そしてあなたの友人も、その「風景」の一部になるのだろうか?

(イラスト/鶴崎いづみ)

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