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1-1.控えめなあなたのためにこそ動画はある

『動画で考える』1. ユーチューバーになれなかったあなたのための動画講座

これまであなたが見てきた動画の常識を忘れよう。

動画はほんとうは、控えめで小さな声でささやく人たちのための道具だ。

人気のユーチューバーたちは、そのフォロワーを飽きさせないように、しゃべり続け、何かに挑戦したり、主張したり、歌ったり踊ったりする。とにかく目立ったもんの勝ち、といったスタイルが常識になっている。でも、そんなことは何も出来ないし、する気もない、と言う人たちこそ動画をもっと活用すべきだ。

自分で動画を撮影しようとするときにどうしても意識してしまうのは、これまでにずっと見続けてきたネットやテレビのコンテンツのような、多くの人たちに支持されて繰り返し視聴されている、いくつかの決まったパターンの動画だ。そこでは、出演者全員がいかに注目されるか、ということだけを目指して、そのためには大きな声を張り上げて、オーバーなアクションで、自分のキャラクターを強く押し出してアピールする。

動画を撮影して、それをネットにアップして不特定多数の人たちに見てもらおうとすると、最初から当たり前のようにこのようなルールにしばられてしまう。まるで脅迫されているかのように、何かしゃべらなくては、と思ってしまう。

何の準備もぜずに、今すぐ録画ボタンを押して撮影をスタートしよう。

でも動画は、録画ボタンを押しさえすれば、何もしなくても、誰もいなくても、そこに何もなくても、停止ボタンを押すまで撮影が続く、というのがその機能の本質だ。何も表現することがないのに文章を書き続ける、と言うことがあり得ないのに対して、動画は、何も表現することがなくても撮影を続けることが出来る。

もしあなたが、何も考えていなくて、何の計画もなく、何も主張することがなくても、まず録画ボタンを押して動画撮影を始めてみよう。話すのが苦手でも良い、自分のスタイルで話してみよう。途中でつかえても良いし、中途半端にやめてしまっても良い。恥ずかしかったらカメラに背を向けて話しても良いし、小さな声でささやいても良い。

そう、動画は小さな声でささやく人たちのための道具だ。何も大きな声で主張しなくたって、性能の良いマイクはささやき声を拾ってくれる。そればかりか、何も語らなくても「何も語らないあなた」を撮影してくれるし、それがあなた自身のスタイルにだってなるかも知れない。

動画は、テレビ番組や映画のようにまとまった番組や作品を作るための手段というよりは、いつのまにかもっと身近な生活の中の道具になっている。メモを取るように目の前にあるものやそこで起こっていることを記録したり、オンラインに載せてメッセージを伝えたり、コミュニケーションや表現の道具として誰もが気軽に日常的に活用している。過去には撮影や編集の技術を持った一部の人びとに独占されていた動画という道具を使って、私たちの生活や思考をもっと変えることが出来るかも知れない。

動画という道具を使って、日常空間を観察しよう。

いまネットに無数にアップされて、たくさんの閲覧者に支持されたり、攻撃されて炎上したりする動画は、「あらかじめ考えたことを動画を通して発表している」というタイプのものがほとんどだ。「動画で考える」ということを通して伝えたいのは、もっと「動画」そのものを道具として、ものごとを観察したり考えたりするということだ。道具といっても、最新のビデオカメラや編集ソフトを使って動画制作をするためのマニュアルを提供しようとしている訳ではない。ここで必要なのは、ごく基本的な撮影と編集のテクニックだけだ。

目の前にあることを動画で記録して、あとから見直す。あるいは友人に見せる。ネットを通じて大勢の人びとに紹介する。その反応を受けて、自分でさらに別の動画を撮影したくなるかもしれないし、あなたの動画を気に入った友人が別の動画を紹介してくれるかも知れない。あるいはネットでそれを見た面識のない人びとがまた別の動画を送ってくれるかも知れない。

動画がたくさん集まったら一つにつなげてみよう。まとまった動画を通してみると、個別に見ていたときには気が付かなかった別の何かが見えてくる。その何かをもう少しはっきりと確認するために、順番を変えたり、余計な箇所を削除したり、さらに動画を撮り足したりしてみたりする。

そうやって動画だけを手がかりに、考えを広げたり深めたりすることが「動画で考える」ということだ。ここで重要なポイントは、動画を通して得たことを言葉に置き換えないということだ。言葉で動画の内容を説明したり、理解しようとしたくなるかも知れないが、ただ動画だけを手掛かりに考えてみる。

そのためにはまず動画にまつわる、ありきたりな常識をリセットして、もう一度ゼロから動画に出来ることを検証してみよう。そうして動画を通して何が見えてくるか、何がわかってくるかを確認した上で、動画という道具を使って考えてみよう。

動画をこれまでの常識から解放してやると、いろいろな可能性が見えてくる。せっかく動画を撮影したり共有するための技術が進化して、誰でも手軽に使えるようになったのだから、もっと自由に自分だけの使い方を考えてみよう。そして身近な道具として使いこなすうちに、日常空間がいままでとは違って見えてくる。いままで目の前にありながら見えなかった物事や、「世界」と「自分」との関係が見えてくるのだ。

誰もがユーチューバーにならなくたっていい。控えめなあなたのためにこそ動画はある。

(イラスト/鶴崎いづみ)

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