はじめました

ツイッターの140字というものは極めて絶妙な文字数であると思う。日頃の由なし事、例えば大学の近所にできたラーメン屋に行ってみたいだのというようなことを書くと文字を余してしまう。もちろんそれはそれで良いのだが、自分のような大阪に根ざした人間、しかも日頃から文章に慣れ親しんでいる部類の人間はどこか損した気分になるのではないだろうか。

反対に最近、特に修士課程に進学して以来(大学オーケストラを引退したため)極めて増えた展覧会や演奏家、そのほか諸々の感想についてなのだが、これは明らかに140字では足りない。師匠の一人が学部時代の講義の時に仰っていたのだが、美術史家たるもの、1点の絵を前にしたら90分(1時限分)ずっと話せるようでないといけないのだという。無論日本を代表する先生方の足元に及ぶべくもないが、自分を含む学生でも作品を目の前にすると、専門家の卵としていろいろな言葉や洞察が湧いてくる。どんな作品であってもだ。いわんやそうした作品が集積された場である展覧会だと作品の数のみならず、展覧会のコンセプト、動線や展示の手法…などなど視点は多様である。こうしたものを140字に収めるのはほぼ不可能である。したがってこうした詳細な内容を書く、少しカッコよく言えば言語化するためにこのnoteを始めたのである。直接のきっかけは将棋の山本博志四段がnoteをされており、その投稿がツイッターで目に入ったことだ。実は将棋も自分は指すのだが、対局中の心境の移り変わり、感想戦の内容などが詳しく書かれているのを見て、内容こそ異なるものの、こういう風にのびのび字数にとらわれず書きたいものだと思ったのだ。

先ほど美術館の展覧会において言及したことは、プロアマ問わず足繁く通うクラシック音楽演奏会にも当てはまる。最近は自分が参加する方ではご無沙汰となってしまったが、演奏会というものは常に新しい発見をもたらし、音楽の魅力を再認識させてくれる。このことについては論をまたないだろう。奏者のソロ、指揮者の解釈はもちろん、曲の構造、音楽学的知識、演奏会のコンセプト…述べる観点は枚挙に暇がない。しかしこれについては必要最低限にとどめようと思う。理由は単純、自分は音楽を聴くという点ではプロフェッショナルではないし、今後ともそうなり得ないからだ。深い専門的洞察に基づき、万一誤謬があったならばその責を負う。これがプロフェッショナルの条件であると思うが、自分は残念ながら音楽については専門的洞察は(今のところ)持ち得ていないし、したがって発言に責任を負うこともできない。

ところが美術においてはこれが通用しない。いちおう自分は専門的知識は持ち得ているし、今はまだ卵であるとはいえ、遅かれ早かれ専門的知識を生かした、行動に責任の伴うプロフェッショナルになるだろう(なりたい)。その時に自分の専門分野、芸術に関する文章を書く事についてズブの素人でありたくはない。いや、そんなことはあってはならないだろう。ここで書く文章については自分のトレーニング的側面が加わることもあらかじめ申し述べておきたい。

一応誤解のないように言っておくが、自分はツイッターの140字での投稿を軽視するつもりは毛頭ないし、これからも続けていきたいと思っている。140字での投稿というものは言葉が絞られている分、極めて頭を使うのだ。ディスクリプション、誤解を生まない文章、要点を伝える、自分の感想を述べる……留意する点は数多く、かつ最低限の文字数で鑑賞経験をまとめるのは容易ではない。間違いなく作品、鑑賞経験を把握する助けになるだろう。(なので皆さんにはもっと、芸術に触れた感想を140字の中で記してほしいと思う。特に美術に触れる仕事を志す人には)

余談ではあるが、研究室のゼミでは「400字レポート」なる課題を課せられる。発表を390~400字で批評し(要約ではない)、毎週提出するのだ。やってみたら解るのであるが、案外容易ではない。しかもその内容が発表者に渡るのであるから尚更である。聞く所によると自分が生まれる前から行われているのだそうだ。ここで書く分には添削する先生も、目を通す発表者も、そして何より文字数制限もないが、責任を持ってメリハリとした文章で書く事を心がけたいと思う。

どうぞお手柔らかに。

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