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現地メディアが実際に認める、ブラジル音楽の名盤25選 (後編)

どうも。

では、現地メディアが実際に認める、ブラジル音楽の名盤25選、後編に行きましょう。

改めて25枚。こんな感じです。

では、今日はこの中から、14枚目以降。真ん中の段の右から2番目から行きましょう。前回と同じく、ブラジル・メディアのオールタイム・リストに何位で載ったかを、ローリング・ストーン・ブラジルをR、MTVブラジルをM、エスタードをEで表すことにします。

Fruto Proibido/Rita Lee(1975)R#16 M#17 E#21

まずはブラジルが生んだ最高のロックンロール・ディーヴァ、ヒタ・リーです。彼女は前回紹介した伝説のサイケデリック・バンド、オス・ムタンチスのリードシンガーだった人です。彼女は1972年にバンドを脱退し、ソロに転じています。

日本だと、まだムタンチス在籍時に出したソロ作が日本盤になっていて、90s末の再発の時に一部話題にもなりましたが、ブラジル国内で彼女の大事なアルバムはそれではありません。というのは彼女、70s半ばから80s前半にかけてブラジルで最も売れたアーティストだったから。その時期の彼女の曲ってもっとメジャーっぽくてポップだったから、日本盤で出てたそれらは彼女のブラジルでのヒット曲に比べると、すごくマニアックに聞こえるものです。このアルバムは彼女の本格ソロ転向後の2枚目で、サウンドの軸となるのはストーンズ調のロックンロール。この中にいみじくも「Esse Tal De Rocken Roll」という、ストーンズで言うところの「It's Only Rockn Roll(But I Like It)」みたいな曲もあって痛快です。そして、このジャケ写のセンスのカッコよさね。75年当時でここまでカッコよくキメれる女性ロッカーって、「ホーセズ」で出たてのパティ・スミスくらい。ヒタはそれくらい、世界規模で見てカッコいい女性ロッカーでした。

80s前後はキュートなシティ・ポップ路線でそこでも大ヒット曲を連発。80s後半以降は人気が翳りましたが90sにMTVアンプラグドで復活。以後もリスペクトされ続けますが、2010年以降は実質隠居ですね。現在は「インスタおばあちゃん」として趣味のいいイラストや写真を載せていたりしますが、50s,60sの元祖サブカル少女的趣味の良さも発揮してますね。あと、自伝と、若い時の写真集出して話題にもなってましたね。

Racional/Tim Maia(1975)R#17 M#18

続いては「ブラジルのジェイムス・ブラウン」こと、ブラジルで最初に黒人によるソウル・ミュージックを浸透させた立役者チム・マイアです。彼自身は1970年にデビューして、そのアルバムでいきなりブラジル一の人気アーティストになります。彼が出てくるまで「ブラジルで黒人」と言ったらサンバをやるのが普通だったところを、彼はアメリカのソウル・ミュージックを展開することで人気を得ます。60sにアメリカに渡ったときに覚えてきたのがソウルだったわけです。

なので、そのデビュー作をここに選ぶ手もあったのですが、ここではそれと並ぶか、それ以上の評価もされている、1975年作のこのアルバムを。といってもこれ、本当は「ラショナル3部作」と呼ばれるもので、I 、II、IIIとあります。では。なぜこのアルバムなのか。それは「このアルバムがある宗教団体に捧げられた、極めて危ないアルバムだから」です(笑)。歌詞の中で延々褒めてるんですよ。「ラショナルはすごいぞ。最高だ」みたいなことをずっと言ってて、正気じゃない。ただ、そんな作品なんだけど、チムがこれまでかぶれ続けてきたアメリカン・ソウルの修練度は間違いなくこれが一番あるんですよね。神への祈りが、自身の音楽的な表現の限界をも突き破っているところが、このアルバムのすごいところです。

彼はこのアルバム後にラショナルから離れますが、ただ、憑き物が取れたか、以後はこれまでの安定感が嘘のように、たまのヒットと落ち込みを繰り返すキャリアを繰り返した末、1998年、感染症のため他界しますが、140キロまで膨れ上がった肥満が原因だと言われています。ただ、今日、彼の人生はドラマ化されたり未発表音源の発売などで注目され続けています。「ラショナル」は長らく廃盤でしたが、この企画の直前にストリーミング流通が決まり、話題になり始めていたとこでもありました。

Cartola/Cartola (1976)R#8 M#13 E#14

続いていきましょう。今度はカルトーラ。ブラジル人の音楽通、または長きにわたるブラジル音楽ファンで「サンバといえばこのアルバム」と言い切っていいくらい、超定番化したアルバムです。僕がNHKでラテン音楽番組のディレクタ_をやっていた時代のパーソナリティの竹村淳さんは幾度となく「カルトーラは最高だ」と言ってこの中の「沈黙のバラ」という曲を何度もかけてたし、大してサンバなんて聞かないうちのワイフも「カルトーラのこれだけは別格だ」と強く主張しますからね。

この人は元はと言えば、「リオのカーニバル」のパレードをやるエスコーラって団体の、今日でも一番人気の「マンゲイラ」ってチームの創設者で、そこの重鎮だった人です。マンゲイラはリオのカーニバルのパレードのコンペティションが1929年に始まった時から一貫して優勝候補のチームですが、そのれい明期を彼が支えていたわけです。ただ、その後は病気になったり、いろいろと紆余曲折の生活を送ったのち、60代後半になって、その「実はサンバの名歌手」という伝説を証明すべく、1970年代の半ばからアルバムのレコーディングを始めます。その2枚目のアルバムがコレです。

僕自身もですね、このアルバムをじっくり聴いた時の新鮮は衝撃は忘れられないですね。サンバという音楽形式に属していながら、例えばブルースにおけるロバート・ジョンソンとかマディ・ウォーターズ、フォークにおけるウディ・ガスリーと同種の匂いを感じたんですよね。つまり、形式とかジャンルの域を超えた、人間の根源の部分から感情によって滲み出るように生み出されるもの。そういうものを感じるんですよね。簡素な音の作りが、なおのことそう思わせるのかもしれないんですけど、メロディやグルーヴの天然の力強さを前に、余計なアレンジなどいらないなと思わせる説得力さえ感じますね。カルトーラは1980年に72歳で亡くなっていますが、伝承したい伝説がここにあります。

Falso Brilhante/Elis Regina(1976)R#36 M#45

続いてエリス・レジーナ、もう1枚行きましょう。前回紹介したアントニオ・カルロス・ジョビンとの共演作は、やはりジョビンの方の才覚が強く表れていると思うので、今度は純粋にエリスの魅力が伝わるこのアルバムで。

このアルバム以降のエリスは、もう晩年までもはやボサノバでは全くないですね。この当時のMPBの精鋭とも目されていたベルシオールやジョアン・ボスコの作品とともに、よりソウルやロック、さらにはアルゼンチン音楽など、より多角的なサウンドを歌い、彼女本来のパワー・ヴォーカリストとの資質は「ここぞ!」の瞬間のシャウトで更に高められました。ひときわ素晴らしいのが、このアルバムの冒頭の曲でこの当時に得大ヒットした「Como Nossos Pais」での絶唱は語り草になっていますね。

 この後も彼女は、ややジャズ・フュージョンよりの歌の方が多くなってきて、今も1980年前後の彼女の曲はよくラジオでもかかるんですが、それだけに1982年にコカインのオーバードーズで36歳で急死したのは非常に残念です。彼女は現在でも「ブラジル人最高のシンガー」の投票で1位に選ばれたりしているほか、2017年には彼女の伝記映画も公開され、かなり人気がリバイバルで出てきています。その歌の実力からすれば「さもありなん」な感じではありますからね。

Alibi/Maria Bethania(1978)R#79 E#19

続いてはマリア・ベターニア。実はこれが25枚目の最後のチョイスでした。彼女はカエターノ・ヴェローゾの妹でもあります。カエターノとジルベルト・ジルにはおきまりの仲間がいて、この2人にプラス、ガル・コスタとしてマリア・ベターニアの2人の女性がいます。で、ガルかマリアで迷ったんですよ。この4人が集まれば、ガルがソプラノ、マリアがかなり野太いアルトで声のコントラストもすごくあって綺麗なんですよ。ガルの声はキュートで好きだし、ヒットメイカーなので捨てがたかったのですが、決定的な名盤にかける彼女よりは一発どでかい代名詞的なコレがあるマリアの方を優先しました。あとは70s前半に名盤が揃ってて後半があまりなかったから、というのもあります。

70s後半のMPBというのは、70s初期の「サンバの影響のあるシンガーソングライター・スタイル」から「シティ・ポップ」的な方向性という、アメリカ西海岸みたいな流れがあって、僕は正直それがあまり好きではないんですが、そんな中、このアルバムは、ちょっと古いタイプのサンバのバラードを主体に、かすれた低い声でかなり豪快に歌い上げた「ブラジル流ソウル」とでもいうべきアルバムですね。全体のトーンはアコースティック、もしくはストリングスでシンプルなんですが、歌だけで十分聞かせられる熱唱の1枚です。

マリアもかなり尊敬されてる人で、割と近年、功労賞的に祝われることが多い印象がありますね。かなりのロングヘアがトレードマークなんですが、今も白髪の腰まである髪で、ちょっとシャーマニズムっぽい雰囲気も出してます。

Selvagem?/Os Paralamas Do Sucesso(1986)R#39 M#11 E#24

続いて一気に飛びます。1978年から86年へ。この80年代半ばになると、ブラジルに空前のロック・ブームがやってきます。日本のブラジル音楽ファンの非常に悪いところは、このブラジリアン・ロック・ムーヴメントを露骨に無視することですが、ものすごく大事な時代ですよ。なぜなら、この当時って、ブラジルで軍事政権が終わって、若い世代が自分たちの本音の感性を次々と出してきた時代だから。70sのMPBと、このロック世代以降でかなりのいい意味での世代断絶があります。

その中で、「四天王」と呼ばれる存在がいるんですが、今回はその中の3アーティストが1986年に立て続けに出した名作3枚を紹介しましょう。まずはパララマス・ド・スセッソ。彼らはリオを拠点とする3人組で、別名「ブラジルのザ・ポリス」と本当に呼ばれていたバンドです。その通りに、フランジャ_を多用したギターとレゲエをベースにした音楽性で演奏もピカイチ。そんな彼らは1985年の大イベント、ロック・イン・リオで国内組として奮闘し、ロックブームにさらに火をつける役割を果たしました。同じロック・イン・リオではもう一人の四天王、後にエイズで早逝するカズーサって人が前にいたバンドもあったので迷ったんですけどね。ちょっと今、落ち目なパララマスよりカズーサの方が今は伝説化はしてるんですけど、全盛時の人気と売れた期間の長さ(2000sの後半まで)の実績を考慮して彼らの最高傑作を選びました。

ロック・イン・リオ出演時に彼らを見つけてクイーンのブライアン・メイに気に入られて後に共演したり、南米圏全体で人気もあったりとなんだかんだで重要で、これも今聴いてももろザ・ポリスですけど、90s以降のレイドバックしたレゲエ路線よりはいいし、さらに90sにスカンキという、それ以降にかなり商業的な大物になった彼らのあからさまな後継バンドも生んだことを考えても大事だとは思います。

Cabeca Dinossauro/Titas(1986)R#19 M#37 E#7

続いて、サンパウロが生んだ名バンドです。チタンス。彼らは最盛期にメンバーが10人近くいた大所帯バンドで、当時のライブの写真を見てみても、なんか「劇団?」という感じの、面白い見せ方をしていたバンドです。しかも、バンド内にリーダー格みたいな人が複数いて、それぞれがリード・ヴォーカルを取り合う、珍しい構成になっています。

これはそんな彼らが出した、誰に聞いてもこれこそが最硬傑作と呼ばれるサード・アルバムです。音楽的にも非常に多様で、説明しにくい存在なんですが、このアルバムはその中でも、彼らの要素の中でもひときわ重要なパンクロックのエッセンスがかなり強く表れた作品で、宗教、家族、警察、ストリートの現実など、各テーマに沿ったパンキッシュな曲が並ぶ、かなり社会的な内容にもなっています。

このバンドも息が長く活動し、90sにはニルヴァーナのサブポップ時代のプロデューサーだったジャック・エンディーノとグランジっぽいアルバムを作ったり(しかも1993年!)もしてるんですが、重要メンバーのアルナルド・アントゥヌス、ナンド・レイスと脱退していって弱体化し、俳優としても知られている最大のフロントマンに近かったパウロ・ミクロスも数年前に脱退して、結構今は厳しいかな。抜けた人がむしろソロでかなり頑張ってる感じです。ただ、かなりリスペクトはされてますね。

Dois/Legiao Urbana(1986)R#21 E#3

ただ、パララマスやチタンスがどんなに人気があろうと、このレジアオン・ウルバーナの比では決してありません。僕のブログを昔から読んでいただいている方には「またか」と思われる人も少なくないかもしれませんが、今日的にブラジルで最も重要なアーティストが、このバンドのフロントマンのヘナート・フッソですね。

このヘナート、メガネかけて小柄な、一見ロックやってる人に見えないんですけど、彼の音楽センスが素晴らしいのなんの。だって、エイティーズの半ばにザ・スミスやらジョイ・ディヴィジョン、U2の影響を受けたロックをやって、それを国で一番売れる音楽にしてたんですから!そんな状態、アメリカやイギリスでさえ、ないですよ。それ考えたらすごい衝撃的なことです。このアルバムで一番人気の「テンポ・ペルジード」という曲は「This Charming Man」あたりのスミスだし、「インジオ」って曲はジョイ・ディヴィジョンのリズムを使って、それをストリングスで流麗に飾るなど、ちょっとビックリすることやってますね。あとヘナートは詩人としてもかなり評価されていて、ブラジル社会を映し出す物語的手法もとったりしてね。あと、このアルバムじゃないんですけど、ブラジル社会を痛烈に批判した「Que Pais E Esse(この国はどうなってるんだ)」というのがこの次のアルバムに入ってて、今もデモとかがあるたびに必ず歌われます。

ヘナートはバイセクシャルで1996年にエイズで他界してさらに伝説になってるんですが、とりわけ2010年代以降のトリビュート企画が多いですね。ヘナートの伝記、歌詞を基にしたヤツの2本の映画もあったし、ロック・イン・リオでもトリビュートやったり、ネットフリックスの「ナルコス」の主演俳優のヴァギネル・モウラを代理ヴォーカルでライブやったり。そんなこんなで旧譜が軒並みロングセラーで売れ続けているブラジルでも珍しいアーティストです。

Afrociberdelia/Chico Science & Nacao Zumbi(1996)R#18 M#21 E#13

続いて、90s最重要アーティストですね。シコ・サイエンス&ナサオン・ズンビ。これも伝説化したバンドです。

彼らはバイーアに比較的近い、北東部のペルナブッコ州レシフェという、北で2番目にでかい大都市から出てきているんですが、とにかく暑いこと、黒人が多いことで有名なところの出身です。そうしたこともあってか、彼らのサウンドはかなりファンキーなんですが、彼らはそこにサイケデリックなグルーヴ感覚と、ヒップホップ、レゲエ、そしてハードロック・ギタ_を交えた、いわば「ブラジル流ミクスチャー」を展開していました。それは実はこの当時の日本の洋楽でも紹介されていまして、この前のアルバムは「カオスのマンギビート」の名で日本盤出てます。あの当時、「ブラジリアン・ミクスチャー」「ブラジリアン・ヒップホップ」はソニーみたいな大手がリリースして、そこそこ話題を呼んでましたね。僕がブラジルに興味を持った一因にこれがあったりもします。

それもあってか、日本ではこの一つ前のアルバムが有名なんですが、ブラジルで商業的、批評的により評価が高いのがセカンドのこっちですね。これ、日本盤って出たんだっけ?よく覚えてないんですが、こちらの方がよりヒップホップ色が強く出た分、かなりミクスチャーの度合いがわかりやすくなってますね。いい意味整理された印象があります。ただ、これがヒットした矢先に、97年、フロントマンのシコ・サイエンスが交通事故で30歳の若さで他界してしまいます。本当にブラジルって音楽の早逝の物故者が多すぎです。

Sobrevivendo No Inferno/Racionais MCs(1997)R#14 M#29 E#12

続いては、これはブラジリアン・ヒップホップ最大の名盤ですね。ハショナイスMCsのファースト・アルバムです。これも未だに伝説として語られてますね。彼らは、リーダーのマノ・ブラウンを中心としたヒップホップ・クルーで、サウンドとしてはあの当時の東海岸っぽい感じですね。その意味では、ちゃんと紹介されてさえいれば、あの当時の日本のコアなヒップホップ・マニアにも好かれてたような気がしますね。アルバムの冒頭から、ポーティスヘッドの「Glory Box」がサンプリングされているようなアルバムですからね。

このアルバムでひたすらラップされるのは、サンパウロの隣の市との境あたりにある地域の犯罪の現状と危機的な治安の悪さですね。こういう感じは、この5年くらい後に「シティ・オブ・ゴッド」がリオのファヴェーラの信じがたいような危険な日常を描き出したことで話題を呼びましたが、それを言語化してサンパウロで先駆けたのがこのアルバムですね。僕はサンパウロ在住ですが、ここで出てくる地名の単語が、いちいち、「そこに行ったら危険だよ」と今もいわれるところのオンパレードなので、聞いててちょっと背筋が寒くなることもまた事実です。その意味でも、悲しいかな、タイムレスな作品でもあります。

リリック、サウンドともに世界に出して恥ずかしくない名盤なんですが、ただ皮肉にも功罪もあってですね。それは、このアルバムの築き上げたハードルがあまりにも高く、それゆえ、ブラジルでのヒップホップのイメージが硬派になりすぎて、後継者が生まれにくいジャンルになってしまったことです。「オメエ、生半可な気持ちでラップやってんじゃねえぞ」って感じのヤツですね。だから、この国では真面目なヒップホップは高級感を持って捉えられているし、それに耐えられない軽いタイプの人はファンキという別ジャンルに流れて、それが超人気音楽になってしまうという、皮肉な結果も生み出しています。

Com Voce Meu Mundo Ficaria Completo/Cassia Eller(1999)E#22

続いてはカシア・エレール。彼女は「最近の人」という印象が強すぎたか、今回の3つのオールタイムではそこまで上位に食い込んでいませんが、この人も非常に大事な人で、もうモダン・レジェンドの一人になっていますね。

彼女はデビューしたのは90年代に入ってで、最初はそれほど注目度が高くなかったようなんですが、後半に入ると、そのワイルドなしゃがれ声が徐々に注目を浴びるようになってきて、90s後半からミレニアムにかけて絶頂を迎えます。オリジナル・アルバムではこれが一番売れているんですが、サウンド自体はあの当時のアメリカの女性オルタナ・アーティストみたいですね。アラニス・オリセットとかフォー・ノン・ブロンズとか。サウンドそのものは、らしいというか、ちょっと懐かしい感じなんですが、彼女の場合はとにかくライブでの絶唱が話題で、本当のところの最高傑作は2001年に発表した「MTVアンプラグド」だと言われているし、2001年の第3回目のロック・イン・リオでの歌いっぷりもかなり話題になった人です。ただ、2001年の年末に、人気絶頂のタイミングでこの人もオーヴァードーズで亡くなってしまいます。

90年代のブラジルの女性アーティストということで言えば、国際的に人気になったマリーザ・モンチをあげる人が普通多いです。僕も最初は考えてました。ただ、僕の直接知っているブラジル人の音楽通の友達がマリーザの話をすると、みんながみんな即座に嫌な顔をすることで避けちゃったんですよね。なんか過度に「優等生」のイメージがあるみたいで、そこがハナにつくようです。そういう人は逆にカシアを推す人が結構目立ったので彼女にしてみました。実際、カシアはもう伝説化されていて、何年か前に伝記ミュージカルを演劇でやってましたね。

Ventura/Los Hermanos(2003)R#68 E#1

そして、現在のブラジルのモダン・クラシックと言ったらこれですね。ロス・エルマーノスの2003年発表のサード・アルバム。エルマーノスを日本で例えると、「1997年の世代」というヤツに一番近いですね。くるりとか、ナンバーガールとか、あの感じの。彼らは1999年に「アナ・ジュリア」という、かなりウィーザー色の強いポップなギター・ロックでその年のブラジル最大のヒットになるくらい売れて注目されます。ただ、その成功に当の本人たちが戸惑い、どんどん実験的になって、大衆的なファンは離れますが、逆にコア・ファンの間で熱狂的な支持を受けるようになります。

彼らはマルセロ・カメロという人と、ロドリゴ・アマランチという2人のフロントマンが引っ張るバンドなんですが、マルセロがウィーザー色、ロドリゴがストロークス色を露骨に出します(笑)。ただ、それでモノマネで終わらず、そこにホーン・セクションや、リズムボックスとアナログ・シンセで構成する箱庭的サイケ感覚だったり、かなり凝ったことします。とりわけ、ひっかくようなギターの音色センスなんて、同時代の世界的に見てかなりいいセンスです。今日の若いブラジルのインディ・ロック・ファンが信奉するのも無理はないなと思います。この国においてはCSSでは相手にならないくらいの影響力と人気です。

彼らは2007年に活動休止しますが、たまにツアーで再結成して、今、スタジアム規模でツアーしてる真っ最中です。さらに11年ぶりの新曲も好評して、「今度は真面目にリユニオンするのでは?」とソワソワさせています。僕も来月にあるサンパウロ公演、まだチケットあるので行こうか検討しているところです。






















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