追悼リアム・ペイン〜改めてワン・ダイレクションについて考える
どうも。
ちょっと時間をかけてしまいましたが、この話をしましょう。
元ワン・ダイレクションのリアム・ペインが16日、滞在先のアルゼンチンはブエノスアイレスのホテルの3階から転落死してしまいました。31歳での早すぎる死です。
ブラジルはアルゼンチンの隣国なので報道がかなり細かったのですが、これが現場ですね。3階と言っても、こっちの習慣で言うとレセプションのフロアが天井が高く、このフロアが0階の扱いなので、日本の感覚だと4階や5階にあたるところですね。
さらに部屋の中はテレビが壊されていて、ドラッグを使用した痕跡があったということです。
彼はブエノスアイレスに1Dのメンバー、ナイル・ホランのライブを見に来ていましたが、それは今月の初旬のこと。なぜに彼が残り続けていたのかは謎が残るところです。
また、彼が地面に落ちた時に手をついた跡がなかったことですでに意識がなかったのではという説や、傷が落下以前にかなり付いていた、亡くなる前に2人の女性と会っていたなどの調査結果もあり「他殺説」の可能性も残した状態でもあるようです。
これらも気になるところですが、ワン・ダイレクションにおける彼について改めて振り返ってみたいと思います。
言うまでもないですが、リアムがショービジネスの世界に入ったのはイギリス版の「X Factor」に参加したことが契機です。彼は2008年、14歳の時に一度受けてその時もある程度、審査が進んでいたのですが、2010年に16歳で参加した際にジャズのスタンダードのCry Me A Riverを歌い、かなり絶賛されます。
ですが、ソロではなく、同時期にそれぞれ個別にオーディションに来ていたハリー・スタイルズ、ゼイン・マリク、ナイル・ホラン、ルイ・トムリンソンの5人で
ワン・ダイレクションを組むわけです。すると、これがケミストリーを起こしてセンセーションになり
What Makes You Beautifulでデビューすると、イギリスを飛び越え、世界的なブームとなります。これが2011年ですね。
彼らがウケた背景には以下の2つがあったように思います。一つは歌って踊れるボーイバンドが00sの半ばから下火になっていたこと。もう一つは、イギリスで00s初頭からBustedやMcFlyなどのバンドのアイドル仕掛けるも国内での成功以上の成果を得ていなかったこと。
そこで「楽器は弾かないけど踊りもしない、ポップロックのボーイバンド」という方法論が生まれたわけです。さらに言えば、常套化していたハモりも重視せず、個々の個性をそれぞれに打ち出した。これも功を奏していたように思います。
その中でリアム、当初は割と目立ってたような気がするんですよね。XFactorの番組内では審査員から贔屓目に見られている感じはしてたし、実際、初期の曲では歌い始めを彼が歌ことが少なくなかったですからね。
ただ、それが時を経るごとに
ハリーとゼインがリードというか、ソロ・パートをとる曲が目立ってくるんですよね。
リアムはナイルとルイのパート補佐みたいな曲が目立つようになるんですよね。
リアムの場合、高めの甘い安定感のある歌唱で安定力はあるんですが、声に癖がなかったため、一番人気で熱唱派のハリーと、歌唱力で一歩抜けてるザインほどではなく、声のくせの点でもナイルやルイの方がある意味目立つところがあったんですよね。
加えて、言動が女の子ウケしにくいところもあったのかな。そうしたこともあり、しばしばleast popularとの言われ方もされるようになっていきます。
ここからは
今の洋楽、海外エンタメの情報発信者としては個人的に一番のオススメでもあるShinanoさんが奇しくもリアムの死の3日前に書いたこのコラムも参考にしながら語っていきたいと思います。
1Dの社会的インパクトは、2010s中期のバンドの落ち込みと、Kポップに代表される歌って踊れるアイドルの再評価もあり、社会的に下がってる印象もあったんですけど、ファンの間ではここからが1Dの真骨頂、さらに言えば、のちのハリーの未曾有の成功やそれ以降のポップ・ミュージックの流れにかなりの影響を与えるものになっていくわけです。
2013年のサード・アルバム「Midnight Memories」の頃から、初期のシグネチャー・サウンドだったポップパンク調のサウンドから、より本格的なポップロックに移行するんですけど、ここでハリー好みする路線でかなり固まってる感じが、今聴くとかなりするんですよね。
それはさらに
最高傑作説も強い翌2014年の「Four」でかなり固まった感じがします。
そして、この4枚目のアルバムを最後にゼインが脱退。彼はソロで、これまでの1Dとはガラッと違うR&B、ヒップホップ色の強いサウンドを展開。「こういうのを本当はやりたかったんだろうな」と、あの当時に思ったものでした。
1Dは2015年に4人でアルバム「Made In The AM」を出しますが、それでラストになります。
この頃はリアム自身のメンタルヘルスがかなり苦しかった時期とも言われています。
1Dは結局、2016年を持って解散。以降、メンバーはソロとなっていくわけです。
一足先にゼインは成功してましたが、2017年にはハリーがロック色、ナイルがフォーク色の濃いソロを出して順調なソロ活動を始めますが
リアムは2019年にソロ・デビュー・アルバム「LP1」を発表。これがその当時に酷評されて、1Dのメンバーのソロで唯一全英トップ10、入らなかったんですよね。この後、ルイもアルバムで全英1位出しましたからね。
このアルバム
このリタ・オラとのデュエットを始め、R&Bシンガーやラッパーとのコラボという、アイドルとしては極めてクリシェというか、「1Dって、そういうことしないから面白かったんじゃないの?」ということをやってしまった感があるんですよね。彼もゼイン同様、R&Bがやりたかったタイプであるとはこの前から聞いてはいたんですが、そっちに行きたかったとして、その生かし方がどうにもしようがなかった、という感じだったのかな。
その後にハリー、ナイル、ルイがロック寄りのサウンドでソロ活動が堅調で、ゼインがトラブルありで山あり谷あり、リアムが成功したとは言い難いキャリアに見えていたのは、正直なところ皮肉というか。こう言う側面があったので、正直追悼も書きにくいところがあったんですよね。
それも1Dって、できた当初はかなり民主的なイメージで売りに行ってた印象があったのに結果的には決してそうならなかった。人気者が出た中で犠牲を強いられるところはやっぱあったのかな。
それは近年、中期以降の1Dが切り開いた路線が今のポップシーンで大きく開花しているのを見るになおのことそう思うんですよね。
ハリーは「踊らない、ポップロックの新しいアイドル像」をクールなサウンドとともに切り開いていくことになって今やトップクラスの大スターだし
ナイルはハリーほどではないにせよ着実に成功。彼の場合、1D中〜後期のスタッフががっちりと継続して制作に関わってます。その中のプロデューサー、ソングライターのジョン・ライアンとジュリアン・ブネッタがその後、どうなったかというと
まさに今、世界で一番売れてるサブリナ・カーペンターのメイン・ソングライティング・チームとして大活躍なんですよね。
そう考えると、成長期の1Dがのちの音楽シーンにいかに重要な役割を果たしているかがわかると思うんですけど、リアムの場合、その波に乗れなかった不運もあったように思います。
その一方で
現在、リアムが2017年に出演したイギリスの「グレアム・ノートン・ショー」で、Pディディのパーティに参加した時のことを語ってるんですよね。この時にジェイZとレオナルド・ディカプリオが参加したとの証言まで残してて。アルゼンチンにまでそんなことをしにくる奴がいるのかとは思うんですけど、ディディの件が原因で殺されたのではないかとの陰謀論も上がってはいます。
いずれにせよ、1Dに参加したことが彼にとって幸せなことであったと信じたいところではありますが、サッド・ストーリーの部分を引き受けることになったのは否めないかなとは個人的には思っています。
なんとなくこの人思い出すんですよね。
60年代のレジェンド、スプリームスの向かって左側のフローレンス・バラード。スプリームスといえば、右端のダイアナ・ロスがスーパースターだったわけですけど、リードを奪われ脇役に徹したことで精神的なフラストレーションを被り、ソロで成功することなく33歳の若さでこの世を去った悲運のヒロイン。彼女のことを思い出さずにはいられないんですよね。
悲しいことではありますが、今回の件もポップ・ミュージック史の中で語り継がれる話になっていくことは間違いないと思います。リアムと、彼の遺族、7歳のベアくんというお子さんもいるんですよね、哀悼の意を捧げたいと思います。RIP