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映画「ロケットマン」感想 「ボヘミアン・ラプソディより良い」という噂は本当か?

どうも。

では、お約束通り、今日から

エルトン・ジョン・ウィーク始まります。その手始めとして

もう、多くの国ですでに公開されてヒット中ですね。彼の伝記映画「ロケットマン」、これのレヴューをしましょう。

この映画、日本だと8月公開のようなので、「それまで読みたくない」という方は読まないでください。今日の映画評では、ネタバレとかまでは行かない(伝記で本人も存命なので限界がある)までも、かなり核心に突っ込んだことは書くつもりなので。

では、早速あらすじから行きましょう。

ストーリーは、すでにスターダムに上り詰めたエルトン・ジョンが、自らの生い立ちを振り返るところから始まります。

ちょっと内気なナード少年だったエルトンことレジー・ドワイトは、家を不在にしがちな父親のジャズ・コレクションから音楽を学び、早くからピアノで才能を発揮します。

レジーは王立の音楽学校でクラシック・ピアノを学ぶ一方、アメリカからやってきたエルヴィス・プレスリーをはじめとしたロックンロールの洗礼を受け、虜になります。10代後半になった彼は、アメリカから巡業でやってきたソウル・ミュージックのシンガーのバックアップ・キーボードの仕事などもやるようになります。

そして20歳を過ぎた頃、レジーは名前をエルトン・ジョンと改め、音楽出版社に自分を売り込みにいきます。

その出版社でエルトンは運命的な出会いをします。有望な若手作詞家のバーニー・トーピンを紹介されたのです。バーニーとソングライティング・チームを作ったエルトンはここをキッカケとして、思いもかけぬ成功への道を歩むことになります。

彼は1970年にLAのライブハウス「トルバドール」でレギュラー・ライブを任されますが、フォーク・クラブとして有名な、その当時の人気シンガーソングライターの登竜門的なところでエルトンはあえて爆発的なロックンロール・ショウをやって人気に火がつきます。

エルトンのショーは派手にエスカレートしていき、人気も当代きってのトップクラスになります。

気がつくとエルトンは、この当時最も派手なロックスターになっていました。

そして派手になり行くのはスポットライトの下の姿だけではありません。ドラッグもそうだし、セックスも!その頃にはすでにエルトンは、自分が性的に求めるものもハッキリとわかっていました。

しかし、こうした生活をしていくうちに様々な危機も訪れ始め・・

・・と、ここまでにしておきましょう。

この映画ですが

このように基本はミュージカルです。歌も出演者によるもので

主にエルトン役を務めるタロン・エジャートンが務めます。「キングスマン」でおなじみの彼がなぜエルトン役を演じることになったのかというと

彼が声の吹き替えで出演したアニメ「SING」で、「ゴリラのジョニー」としてエルトンの「I'm Still Standing」を熱唱したところ好評だったからなんですね。何が縁で自伝の主演を演じるようになるか、不思議なものです。

そして、基本テーマとなっているのは「スーパースターの成功の代償」ですね。エルトンがどんな風に成功し、それによってアウト・オブ・コントロールしていくか。そのマッドネスを描いた作品ですね。これはですね、彼の幼い頃からを丁寧に描いていることで、その因果関係もわかりやすく見えてくるので好感が持てます。

この辺りの感覚は

モトリー・クルーのネットフリックスでの伝記映画「The Dirt」、あれなんかより数段は良かったですね。あれはフラッシュバックが少なすぎるのと、低予算ゆえの俳優の演技力のなさゆえにただの武勇伝自慢にしかなってなかったものですが、そういう薄っぺらさはこの映画にはありません。

それから、幼い頃の音楽遍歴を丁寧にたどっているので、音楽ファン的には彼のルーツがはっきりわかるのも良いです。ジャズやクラシックからロックンロールにソウル・ミュージックにさらにはカントリーまで、とりわけロックンロールとソウルの影響が強かったのがわかります。あと、話の描写でも出てきますが、「フォークシンガー」とか「シンガーソングライター」的なおとなしい見られ方をされるのを実は嫌っていた人なんですね。そういうことは、タロンが今回、全身を使って証明してくれています。

そして

欧米メディアは勢い、こればっかり強調しすぎますが、ゲイ・セックス・シーンはちゃんと濃厚です。そこはエルトンのセクシャリティをしっかりと反映させたものになっていてます。いみじくも「ボヘミアン・ラプソディ」がそこのところがあまり強調されていない作りになっていたためにゲイ・ファンダムが炎上し、それでゲイの多い映画批評の世界であの映画の事前レヴューの低さに繋がっています。今回も、その件があったのであたかも

あたかも「ボヘミアン・ラプソディ」より上、であるかのような批評さえよく目にします!

では、実際にそうなのか・・というと

人、それぞれだとは思います。

が!

僕個人は少なくとも、その意見には真っ向から反対です!

今回のこの映画、ソツなくうまくできているとは思うんですけど、「ボヘミアン・ラプソディ」が持っていた、何かを超越した闇雲な圧倒的なパワーみたいなもの、そういうものに欠けるんですよね。

その最大の理由となっているのは、やはり主演の力量の差ですね。確かにタロンは実際に自分で歌って、フレディ・マーキュリーを演じたラミ・マレクは歌ってないかもしれない。だけど、タロンの場合、歌っているって言ったって、「普通の人よりはうまい」程度で、圧倒的なものがない、エルトンの演技だって似てるわけでも特別うまいわけでもない。だけどラミの場合、本来、顔が似ていたわけでもないのに、いざ演じてみたら瞬間瞬間に「憑依でもしたか」と思える瞬間は何度でもあったし、あの入れ歯だったり、インドなまりの英語だったりと、フレディに似せるための最大限の工夫をしていた。そのあたりの差は、申し訳ないですけどクッキリ出てましたね。

あと、上でも書いたように、話が「生い立ちと成功の代償」一辺倒なので、話の膨らみが弱いんですよね。「ボヘミアン・ラプソディ」ってLGBTからの妬みもあって、そこのところが崩されてるところがあるんですけど、フレディとメアリーのプラトニックなラヴ・ストーリーという、サブ・プロットが実は濃厚な映画じゃないですか。しかも、これはあくまで事実にも基づいているわけで。フレディが婚約したものの結婚出来なかったメアリーに対して贖罪に近い気持ちを抱き続けて、遺産のほとんどを彼女に渡したのも事実なわけであって。

あと、「ゲイ・セックス、ゲイ・ライフの描かれ方がいいからベター」なんて考えも、作品鑑賞としてどうかと思いますよ。だって、ゲイである以前に偉大なるアーティストなわけでしょ。「アーティストとしてどう生きたか」を大半な人は見たいわけで。これはどちらかというと、LGBTがどうかというより、ここ最近のファンダムの問題だと思います。スター・ウォーズの「最後のジェダイ」とか、「ゲーム・オブ・スローンズ」の最終シーズンもそうだけど、製作者の表現したある部分が気にくわないからって、全体や結論を鑑みないで「自分こそが作品の最大の理解者」みたいな顔をして大騒ぎする。そんなことがまかり通るようになってしまったら、この先の映画とかドラマ、マーケッティングにコントロールされた無難なものしかできなくなってしまいますよ。

それに、映画みたらわかるんですけど、「ゲイへの本格的な目覚め」が比較的遅く、死去直前までゲイ・カミング・アウトしなかったフレディと、早々にゲイであることを自覚していてかなりオープンだったエルトンでは、ゲイ・マターに関しても描かれ方に差が出るのは必然だとも思いますよ。

あと、「ボヘミアン・ラプソディ」の場合、「クイーンの人間関係が実際にはどうだったか」と言うのもしっかり描いていた映画だったでしょ。ブライアンが喋り方そっくりだったのも圧巻だったし、ジョン・ディーコンは風防まで似てた。この「地獄へ道連づれ」のセッションの時も、露骨に嫌がるロジャーとブライアンをよそに、「さっさと進めよう」とフレディ側についたジョン、という風に、その当時のバンド内の内部事情を晒したりね。

そういう要素が「ロケットマン」はあまり強くないんです。

せっかくバーニー・トーピンにジェイミー・ベル、エルトンのママ役にブライス・ダラス・ハワードとか、すごくいい役者さん配役してるのに、それが生かしきれてない。

そこももどかしかったですね。特にジェイミーなんて、エルトンが音楽も担当した「リトル・ダンサー」でビリー・エリオット演じた少年だったわけじゃないですか。その辺りの縁とかも感じた配役でニヤリだったのに、あんまり強い印象の残る演技ができてないんですよねえ。

そしてそして

「ボヘミアン・ラプソディ」には、あの掟破りのような、「最後の20分はライブ」という強引な荒技、あれ映画史に残るすごい賭けだったと思うんですけど、ああいう大胆な名シーンが「ロケットマン」にはない。そこもやっぱり比較にはならないと思うんですよね。

確かに「ボヘミアン・ラプソディ」ってアラの多い映画なんですけど、それを補って余りある見せ場がそれ以上にある。だから結果的に「記録と記憶」を掌握できた現象的成功作になったと思うんですけど、「ロケットマン」はリスクの少ない手堅いいい映画だけど、その分、強烈さもない。やっぱ、そこは否定できないかなあ。その辺りが、レヴューの点数はいいのに、全米興業の初週で「ボヘミアン・ラプソディ」の半分の数字しかあげられなかった原因だとも思います。

まあ、そんな「すごさ」はないけど、それでも「ロケットマン」、楽しめるいい映画であることは確かです。そしてエルトン・ジョンの長いキャリアへの興味のいいきっかけにもなるような気がしています。



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