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いくら言葉で説明を受けても、同じ世界が見えていなければ共感できない


「おいしい!しかも安いで!」

週末は久しぶりに
家族と一緒でした。

買い出しにいって、
いろんな居酒屋メニューをつくり、

手ごろ、手軽な「宅飲み」
をやってみたのですが、

仕切り役は
料理に目覚めた長女。

僕、嫁、そして次女は
もっぱら食べる役でした。

ところでうちの次女、
今年で5歳になったのですが、

つい半年ぐらい前まで、

「蛇口」の意味がわからずに、
「蛇口しめて!」といっても通じませんでした。

ところがこの日、

「しかも」

なんて言葉を使われると
ちょっとびっくりで、

ほかにもいろんな言葉
を駆使していて成長を感じたのです。


■言葉っておもしろい!

そう思うことがあります。

僕は10年前
イングランドにいましたが、

当時は
たくさんの単語を知っていたし、

文化や習慣に触れることで

言葉のニュアンスや適切な使い方
もある程度洗練されていったと思います。

大学が「university」で、
宿題が「assignment」で、

ヘディングは「header」
同点ゴールは「equalizer」
退場は「send off」

サッカー用語は特に
和製英語が邪魔をして苦労しましたが、

食い入るように試合を観ながら、
実況中継の美しい英語に触れて、

英語力は知らぬ間に
鍛えられていったように思います。

で、
当たり前の話ですが、

ヘディング
といった単語はそれ単独ではなく

ヘディングにまつわる
さまざまな概念を知っているという前提で、

「header」

として理解し、
使えるようになるということ。

言い換えると、

ユニフォームを着て、スパイクをはいて
ボールを蹴ったり、走ったり、

体をぶつけあったり
ケガをしたり、勝敗が決まったり。

サッカーの試合を観たり、
実際にやってみることで

(さまざまな要素が理解されて)

ヘディング(header)が
適切に使えるようになる。

つまり「順序」がある
ということです。


■5歳の娘に、

リバプール(英のサッカーチーム)
のHPを見せて、

「これがヘディングだ」

といってサラ(リバプールのストライカー)
を指さしても、

何が「ヘディング」なのか
決して分からないはず。

サッカーを知らない娘にとって、
ヘディングは、

画像に映るスタジアムなのか、
芝生なのか、サラの名前なのか、

判別する手立てがありません。


「蛇口しめて!」

といって
蛇口の「方向」を指さしても、

「浴槽」なのか「シャンプー」なのか
「石鹸」なのか「鏡」なのか、

「しめて」という動詞
も知らない幼い次女が、

蛇口をしめる行為に及ぶ
はずがありません。


言葉と会話
の関係性は非常に奥が深い。

単語をひとつひとつを知っているから
会話が成り立つ、

という順序が
正しそうに思えたりもしますが、

多くの経験、体験を経て
会話が成り立つようになるからこそ

単語の意味も
付随的に理解されるようになる。

実はこれが正しい
言葉と会話のあり方。

コミュニケーションは、
単に言葉によって完結しているのではなく

いろんな諸要素、
生活全般と合わさって

ようやく機能するものなのです。


■ここで

他者理解や共感
について考えてみたいのですが、

たとえば会議で、

集客の企画について
ディスカッションをしていたとしましょう。

シーズン前に予算をつかって

有名選手を獲得し、
大物監督を招へいしたにもかかわらず、

成績がともなわずに
集客は落ち込む一方。

(サッカークラブあるあるな状況です)

そんな現状を打破するベく、
とあるスタッフが

サッカーという競技性
に依存しない集客プロモーション

を提案します。

試合会場は
サッカーの試合をする場所、

という常識をくつがえし、

地域のお祭りの場、
コミュニティの場と定義して、

サッカーに関心のない人へ

「つながり」や「孤立の解消」
という価値を訴求。

ポスターやHPやSNSの画像も、
訴求価値に合わせて変更
(サッカー選手→家族の笑顔)

するという提案です。


■このスタッフは

かつて英国に住んでいて、

トップリーグではない、
地域リーグ(5部に相当)の試合を

何度も観戦した経験あり。

3000人収容の小さなスタジアムが
いつも満員になる光景(とその裏側)に触れ、

選手や試合の質に関係なく、

たくさんの人をあつめる
地方の貧しいサッカークラブがある

という瑞々しい現実
を目の当たりにしていました。

そんな前提、

つまりいろんな構成要素と
時間的な奥行きを融合させた希少な体験
が、

「競技にたよらずとも人は集められる」

という信念に昇華
されているわけですが、

会議ではこの提案が
あっさり却下されます。


■なぜか?

周囲のスタッフが
彼の世界認識に「参加できていない」

だから理解できない、
という帰結。

つまり、

情熱的に語る彼の
一言一言は十分に理解できるのですが、

イングランドでの経験、

(サッカーだけではなく、
日常生活や文化的体験含めて)

がない人たちにとって

「集客できるイメージがわかない」

のは当然でした。


人生経験が浅すぎる
5歳の娘が

蛇口を理解できなかったように、

地方の下部リーグにあるスタジアムが
満員になるはずがない、

という強烈なバイアスは、

それに付随するさまざまな要素
を理解、把握していなければ

覆すことは
なかなかどうして難しいことなのです。


■ですので

共通理解や共感
を促すためにやらなくちゃいけないこと。

それはいかにして、

「世界観に参加させるか」

につきます。

実際にサッカーをプレーしながら、
少しずつ「ヘディング」を学んでいくように、

イングランドには
どんな世界が広がっていて、

人々はどんな価値観で生き、
会話をして、何を大切にしているのか

を伝えながら、

周囲のみんなが
同じ「世界観」をイメージできるように

意図的に誘導していくべき。

次女が
蛇口をしめれるようになるまでに、

長女や嫁と一緒に、

お風呂以外の場所でも
いろんな経験をしたように。

他者とコミュニケーションを図る
ということは、

他者と一緒に世界観をつくっていく
ことに他なりません。


■今日、

とある地方の
サッカークラブからコンタクトがあり、

創設プロジェクトへの協力
を打診されました。

非常に魅力的であり、
もちろん受けるつもりですが、

僕が今までにしてきた経験を振り返り、
どんな心構えで臨むべきか

についていろいろ考えていました。

いわずもがな、

上に挙げた、
企画を却下されたスタッフは僕自身。

周囲の共感を集めるためには、

単に言葉をならべて
説明するだけでは事足りず、

周囲といかにして
同じ世界観をつくっていくのか。

その巧拙が、

足並みをそろえて、
壮大なビジョンを向いて進む

大切な第一歩になるのです。


明日、社内会議にて発表。
週末からガシガシ動いていきます。


今日も最後まで読んでくれて
ありがとうございました。

それではまた明日。
おつかれっした!




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