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やみくもに広い門に進むのではなく、行き先を定めて「狭い門」へ


新約聖書には
こんな一文があるそうです。

狭い門から入りなさい。
滅びに通じる門は広く、その道も広々として、
そこから入るものが多い

ゾクッとしてしまうのは、

僕が、人の評価を気にして行動
しがちだからです。

Amazonでは
カスタマーレビューに必ず目を通します。

家電を買うときは、
売れ筋No.1」の商品になびいてしまう。

まるで海に飛び込む
ペンギンのようです。

でも海にはヒョウアザラシやシャチ
がいるかもしれません。

不完全な証拠に基づいて
自動的に反応してしまうことの怖さ

を説いた聖書の言葉に
思わずドキッとしてしまいました。

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■「社会的証明の原理

という
社会心理学の概念があります。

特定の状況で、ある行動をする人が多いほど、
人はそれが正しい行動だと判断する。

とある銀行の顧客が、
われ先にと預金を引き出し始めたのは、

バス会社のストライキ
が原因でした。

銀行の前にあるバス停に人が殺到。

それをみた人々が
「銀行が倒産する」と勘違いし、

大慌てで
深く考えずに)列に並び、

それを見た別の通行人が
また(深く考えることなく)並んで

大騒ぎに発展したそうです。

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スマホに夢中の人が
横断歩道の手前にいて、

周りの人たちが歩き出したら
信号を確認せずに歩き出すかもしれません。


2軒並んでいる居酒屋の

1軒はガラガラ。
もう1軒はひと席以外は満席だとしたら

どちらののれんをくぐりますか?


某ファストファッションブランド
がマスクを販売し、

朝からの大行列と「完売!」の張り紙
を放送したニュースを見て

ソワソワしたのは
僕だけではないと思います。

人は、

どこにでもいる平均的な人々の絶賛
に耳を傾けるものなのです。

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■さて、

サッカーのみならず
スポーツの世界でも、

最近は市場調査や顧客調査
にもとづいた商品(サービス)開発

が行われるようになり、
結果も出ています。

Jリーグの観客動員は
昨シーズン、過去最多を記録(J1)

リーグ機構は、
開発したシステムを各クラブに提供し、

各クラブが活用できるように
数年に及ぶコンサルティングを実施。

地道な活動が功を奏した結果、
と言えるのかもしれません。


■マーケティングには

「プロダクトアウト」と
「マーケットイン」という概念があります。

顧客は好きな色のT型フォードを買える。
ただし「黒」である限り。

とフォードが言ったというのは
有名な話。

安くて耐久性のあるクルマは、

3分に1台を完成させたといわれる
徹底した効率追求の結果ですが、

そのスピードに間に合う塗装(乾燥時間)は
「黒」だけだったと言われています。

いいわるいは別にして、

「こういうものを作りたい」

という自らの主体的な想い
フォードは具現化しました。

典型的な「プロダクトアウト」
の一例といえます。


■一方、

今はそうではないと思いますが
ちょっと前まで、

特に日本企業においては

「市場の要請」と
「競合の事例」によって

モノゴトを決定するケース
が多かったように感じます。

「まず顧客ありき」
というマーケットイン。

マーケットを特定し、

人々の好みにおもねる
製品やサービスを開発する。

クルマや携帯電話しかり
役に立つ」という文脈では

世界に伍して戦える製品
を開発することに長けた日本企業。

しかしながら「意味のある」製品、
たとえばランボルギーニのように、

二人乗りで
荷物をのせるスペースがなく、

悪路をさけてただひたすらに
爆音をとどろかせて進むだけのシロモノ

であっても、

数千万の値打ちをつけて
飛ぶように売れるような、

切っ先の尖った製品を作ることにおいては

世界の後塵を拝していた
ように感じます。

ちなみにアップルは
市場調査をほとんどやらないことで知られています。

iPhoneが販売されたあと、

高度なマーケティングで
極めて論理的な「正解」を追求していた企業は、

あっという間に淘汰されました。

どこにでもいる平均的な人の絶賛
に依存したマーケットインの戦略

大敗を喫した瞬間
だったのではないでしょうか。


■そもそも

戦略とは他社との「違い
を問題にしています。

競争戦略の第一の本質は
違い」をつくること。

ところが、市場調査による
完璧なマーケティングが

いくら正しくて、合理的で

売れるかどうかを問われれば
理路整然と説明が可能だとしても

それが他社と大同小異
「他社との違い」が明らかでなければ

すぐに競争の荒波に
呑み込まれてしまいます。

「正解」という売り手の論理
人々が熱狂するかどうか?

僕もよくよく考えなければなりません。


■ちなみに僕は

大学院でマーケティングを学び
クラブチームでもマーケティングを生業として

そして今でも
マーケティングチームに所属するなど

マーケティングオタク
といえるほどの頭でっかち。

どちらかというと
「マーケティング最強」説をとなえる一人

ではありますが、
それはもはや神話でしかない。

そんな気にさせられる情報が
最近やたらと目につくようになりました。


市場や顧客の声
という「社会的証明」は

安心感がありますし

仮に自分が打ち出した商品が
まったく売れなかったとしても

「あのときはこうすることが
合理的だった」

とかなんとかいって
自分を正当化することは

できなくもありません。

(※やったことはありません、念のため)


■ほなどないすんねん!?

(#急に関西弁)

という話なのですが
つまりはこういうことではないかと。


顧客に聞くのではなく
自分がどうしたいのかをまず考えよ。

「そもそも何がやりたいのか?」

という問いに答えられる
明確なビジョンを持つこと。

「世の中をこう変えたい」とか
「誰に何を売りたいのか」など、

顧客調査では導き出せない
本質的な顧客の価値


(「これがほしかったんだ」と思うモノ)

をえぐりだすような
内在的、主体的な想いを持つこと。

そのうえで
想いを実現するために

その道具として
マーケティングを活用する。

マーケティングは
主人ではなく家来。

マーケティングを操るのは
人(企業)であるべきです。


■マーケティング

に傾斜しすぎることは
広い門を見つけるようなもの

多くの人が通っている広い門
に進むことで

行き先(ビジョン)の曖昧さは
なんなくゴマカシが効きそう。

そんな僕の稚拙な考えを
ビシッと正してくれるような聖書の言葉によると

とにかくどこへ行きたいのか?
行き先(ビジョン)を自分で考えて

その方向へ進むためには
誰も通っていない狭い門だってくぐるんだ!

(♪これが私の生きる道)


■「役に立つ」

商品やサービスは
誰でもなんとなくはイメージできますが

「意味のある」商品やサービスは

言われれば気づくことができますが
言われなければイメージしにくいものです。

フィーチャー・フォン
(今でいうガラケー)全盛時代に

iPhoneを開発できたのは

スティーブジョブズが夢見た
内在的で主体的な想いがあったからこそ。

そんなビジョンが

人々にとって「意味のある」もの
であったかどうかは

今さら議論をするまでもありませんし、

当時ガラケーをつかっていた
僕たちが

「スマホがほしいんだよね」

というニーズを言えたかどうかも
ゼロではないのかもしれませんが

限りなくゼロに近かった
と言わざるを得ません。

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■スポーツクラブは

活動地域(ホームタウン)が
原則、区分されているので

顧客を奪い合うことはない
と言われていますが

僕がいまだにリバプール
(英国のサッカークラブ)
の試合結果をちくいちチェックし、

勝利が確認できると思わず、

左手でスマホをもって、
右手でこぶしを握り締めるほど

飛行機で13時間も離れた
田舎のサッカークラブのファンでいる。

インターネットがホームタウンの垣根を
取っ払いうほどの

コネクティビティを有していることは

僕以外のサッカーフリークも同意
してくれるはず。


つまり、

どこにある、どんな規模の
サッカークラブであっても、

ビジョンをもって
他クラブとの違いを打ち出さなければ、

ガラケーよろしく、

あっという間に市場から追い出される
可能性を排除できないということです。

凡百の「正解」に
価値はほとんどありません。

やみくもに広い門に進むのではなく、
行き先を定めて狭い門へ。

僕も考えをあらためて、

一から出直そうと
心に誓っている次第でございます。


今日も長々と
最後まで読んでくれて

ありがとうございました。

それではまた明日。
おつかれっした!




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