見出し画像

あなたにとって本当にほしいものとは?


なまえのないねこ」という絵本をご存知でしょうか?周りにいるねこはみんな名前があって、名前を呼ばれて愛されている。でも自分には名前がない。そしてとある少女が自分の存在を知り、名前をつけて呼んでくれた。「名前がほしかったのではなく、名前を呼んでくれる人がほしかったんだ」と、本当にほしかったものに気づくというストーリーです。

ほしいもの」 私もたくさんあります。あれもこれも、考え出すとキリがありません。でもそれは「本当にほしいもの」かどうか。いま一度よく考える価値はありそうです。物理的なものだけではありません。進学先、就職先、肩書。他者と相対比して自分の立ち位置を見積もってしまうのは私だけではないと思います。

かつて私たちには「モノサシ」がありました。有名大学に入り、大企業に就職、家や車を買って豊かな暮らし。定年後は年金で穏やかな余生を過ごす。そんな「大きな物語」は、私たちのモノサシとなってがんばるモチベーションになりました。しかしそれはかつての幻想と化した現代社会。私たちは何をモノサシにしていいか分からず、他者を見るようになったのではないでしょうか。

自由」は、いまだかつてないほど身近になりました。年功序列や終身雇用が崩壊したと経団連が発表。かの世界的大企業の社長でさえ、高度経済成長を支えた日本独特の企業風土、文化、スタイルの限界を吐露しました。ところが自由を得たはずの私たちは飛び立てず、羽をひろげてはおさめてをくり返し、その場を離れることができません。

周りを見渡すと、あの人は年収がどれくらいで、どんな家に住んで、高価な車を持っている。外食をしたりお出かけしたり、余暇の過ごし方は優雅で華やかです。海外との取引もあって、職位や肩書から想像される仕事はいかばかりか。そして自分は?画一的な人生、みんな同じで差がないという状況から一変、自由は相対比を助長し、私たちは「ほしいものだらけ」になりました。

でも本当にほしいものは「そこ」じゃありません。結果としてそれら豊かな副産物が手に入るかもしれませんが、本質的にほしいものは「Being」、「あり方」です。私たちはどんな人生を送り、どうありたいのか。「Having」や「Doing」はビジョンや目標にはなりえません。持てるもの、行うこと、それらは、あり方の次のフェーズに登場するおまけのようなものです。

「なまえ」は呼ばれたらうれしいし、まわりのねこもみんな持っているから僕もほしい。それはそうなんだけど、本当にほしいものは、自分を愛してくれる、大切にしてくれる存在であり、その人が自分に与えてくれる愛情、食事、包み込むような優しさ、そして「なまえ」なのでしょう。

私にとっての「なまえを呼んでくれる人」は何のか?そんな解釈をしてみた絵本「なまえのないねこ」でした。みなさんはどんな解釈、読み方をするでしょうか?興味ある方はぜひ手に取ってみてください。

久保大輔




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?