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父の愛車遍歴

何かの拍子に、日産チェリーの映像を見ることがあって「おおー!これは、親父が乗ってたクルマだなー」と、子どもの頃の記憶が、鮮明にフラッシュバック。

まさに『おぎやはぎの愛車遍歴』みたいなもんで、人生ってのは、そのまんま、クルマが反映してるものだ と実感した。

僕の記憶にある親父の愛車遍歴を見るに、趣味趣向、ライフスタイルの変化、家族の構成、子どもの成長、クルマにかけるコストなど、そう言った変化は、クルマに見事に出ていた。

僕の記憶にある、父が乗っていた「一番古いクルマの記憶」こそが、この日産チェリーだった。

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日産チェリー

僕が保育園くらい小学3年生くらいまで乗っていた。ヒップラインが面白くて、昭和っぽい感じのデザインだった。身長160cmくらいの小柄な親父が30代の頃に乗っていた。すごく似合っていたと思う。

ガンメタではなく、ただのシルバーでもない変な色だった。ピンクがかったシルバーの気がするが、本当は何色だったのか分からない。小さい頃の記憶は曖昧だ。でも、いろんなことをシーンとして覚えている。

後部座席のヘッドレストの後ろのスペースに「カランカラーン♪」と不思議な音がする鈴?みたいなものを置いていた。曲がるたびに、転がった音がしていた。

スーパーで売ってる「お菓子のおまけ(食玩)」のロボットの腕か何かをスピーカーの細い穴に落として「クルマが壊れる!」と焦って取り出そうと、バレない程度にスピーカーを壊した。

兄貴とお揃いの赤い野球帽(カープ)を、走るクルマの窓から出して、風を感じながら走っていたのが楽しかった。案の定、それを飛ばしてしまい。取りに引き返してもらった。僕が怒られた記憶はない。きっと、兄貴だけが責任を被って叱られたのだろう。

小さい頃の記憶は、いつも、このチェリーとセットだった。

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日産スカイライン

僕が小学3、4年生くらいのとき、親父が乗り換えたのが、このスカイライン。当時、めちゃくちゃ流行っていて。出たばかりの頃、ちょっと無理目のチョイスで購入したんじゃないかと思う。

思い出としては、僕が小学生のとき、親父が野球部のコーチをやっていて、練習試合の帰り道、友達5人くらいを乗せて帰ることになり、でも、全員は乗り切れず。僕だけ、このクルマのトランクに乗って帰ったことがある。

不思議と、それ以降の、親父が乗っているクルマの記憶は途切れている。僕の中学、高校時代、何に乗っていたのか覚えていない。つまり、それだけ、親父とは疎遠になったんだろう。

家族で出かけるとか、そういうのが無くなると、親父のクルマは、僕の人生に登場しなくなる。

でも、高校生になった兄貴の野球の試合を見に行って、このスカイラインに「硬式ボールが当たって凹んだ」と親父が騒いでいた記憶がある。その辺をラストに、スカイラインの記憶はない。きっと、僕が高校生に入るくらいに次のクルマに乗り換えたんだと思う。

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日産プリメーラ

僕が免許を取った頃、これに乗っていて、時々、借りた記憶がある。僕が結婚した頃も乗っていたので、多分、10年以上、このプリメーラだったんだと思う。

オフクロが免許を取り、日産マーチとの2台持ちになる。そして、このプリメーラを最後に、親父の愛車遍歴は終わる。(もう死んだかの言い方だけど、まだ生きてます。)

K11-マーチ-中古車-不具合

日産マーチ

これは、最初、基本的にオフクロが運転してたんだけど、最後の方は、共用で一台を運転するようになる。

確か、僕が結婚する直前くらいに、半年くらい借りっ放しだった気がするので、それを返したタイミングで、親父もプリメーラを手放したんだと思う。



長いこと日産車を新車で購入して、乗りつぶして行くというスタイルだったんだけど、たしか長いこと担当してくれていた日産の営業の人から、別の若い子が引き継いだタイミングで、その新しい営業の子にムカついて「別に日産車に乗りたいわけじゃない!」的な感じで、HONDAに乗り換えて、今はFITを乗っている。

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