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AI(ARTIFICIAL INTELLIGENCE-人工知能)と未来のしごと

前回紹介した、Reith Lectures(リース・レクチャーズ)のStuart Russell(スチュアート・ラッセル)さんの講義のうちの、「AIと経済」より。 ここより聞くことが可能です。

近い未来は、現在の人間が従事している多くの仕事は、人工知能・人工知能を搭載したロボットに置き換えられると不安に思っている人々はたくさんいます。

ラッセルさんは、二つの疑問を投げかけます。

人工知能の進化は、「(人間の行う)仕事の終わり」を導くのだろうか?
それは、「良いこと」なのだろうか?

まず、この質問を考える前に、ここでいう「人工知能」はGeneral Purpose AIー汎用人工知能(=人間が行うことのできる全範囲のタスクを行うことを素早く学ぶことのできるマシーン)を指しています。現在の人工知能とはかなり違うのもので、この段階にたどり着くにはまだ20年近くかかるのではないか、と現時点では予測されています。

楽観的な意見としては、テクノロジーの進化に伴い、多くの新しい仕事が生み出され、結果的に失われる仕事の数を補う、というものがありますが、これは既に多くの経済学者からも、非現実的ではないかとの意見が出ています。
現段階で、テクノロジーの進化によってポジティブな影響のあるセクターもあり、ネガティブな影響を受けるセクターもあるものの、経済発展国でも、低レベルスキルと見なされる職業の実質的な賃金は大きく下がり、ミドルクラスの仕事は大きく減り低賃金・安定性の低い職に置き換えられ、富の分配は労働ではなく、資本に流れています。

ここで、思考実験としてあがっているのは、自分の双子ロボット(自分と同じ仕事ができる)がいると仮定することです。
ロボットなので、疲れないし、眠る必要もないし、賃金の支払いがなくても24時間元気に働くでしょう。世の中には多くの素晴らしい仕事が生み出されるかもしれませんが、その仕事にはあなたの双子ロボット、或いは他の人々の双子ロボットが割り当てられるかもしれません。雇用は増えるかもしれませんが、人間が雇用されるとは限りません。

また、別の例として、家や建物の内部や外部の壁を塗る職業の人(イギリスでは、Painter(ペインター)と呼ばれる職業ですが、アーティストの絵描きではありません)がいたとします。テクノロジーの発達で、細い絵筆 → 面積の広い刷毛 →大きなローラー →ロボットが機械で噴射、と変わると、確実に人間のペインターの一部は職を失うでしょう。ただ、壁を塗る時間が短縮され、コストが下がることで、一時的に需要は高まるでしょう。その時点では、人間のペインターもまだ仕事を保てるかもしれません。しかし、いったん壁を塗ってしまえば毎日塗り替える必要があるわけではなく、早晩、需要は下がります。またペインターの仕事をするロボットの開発やメインテナンスが新たな仕事として生み出されますが、これにはペインターの人数よりもはるかに少い数の人々で行うこととなるでしょう。

汎用人工知能が機能する段階では、ほぼ全ての仕事で、上記のように人間がする仕事は減るのではないかと、ラッセルさんは予測しています。

また、汎用人工知能が機能する前の段階でも、人工知能の言語処理能力は著しく向上しているので、短いやりとりを伴う仕事(保険請求やカスタマーサービス)や、低いレベルでのプログラミングの仕事も人工知能が人間の仕事を置き換えるだろうと予測されています。また、アウトソーシングされているようなルーティンワークも同様に、人工知能が人間の仕事を置き換えるでしょう。

楽観的な意見をもつ人々の中には、「人間の仕事を奪うことになる人工知能を開発するのではなく、人間の仕事を補う人工知能のみを開発してはどうか」という意見もあり、医療やケアの領域の仕事が良い例だとして挙げられます。これは、私たちが先述のペインター(絵筆→刷毛→ローラー)の例でみたように、「生産性を上げるテクノロジーは、本質的に補完か置き換えかではなく、すべては、需要対応にかかっている」ということを考慮し忘れています。

例えば、放射線技師が人工知能を使ってさらに生産性を上げたとして、(人間の)放射線技師の雇用を守るために、患者が今までにないような難しいやり方で骨折してみたりはしないでしょう。

人工知能のリサーチャーに、人間の仕事を(置き換えるのではなく)補うもののみ開発するように、というのは難しいですが、満たされていないニーズの領域(高い場所の大きな落書きを消すこと、森林火災の消火活動、貨物船の荷物の点検等)を探し出し、そこに人工知能を進んで適用することは、誰にとっても良いことでしょう。

ただ、先述したように、汎用人工知能が機能する段階にいくと、人間のするしごとが減るのはほぼ間違いなく、どうなるかは明確ではないから、何もしないというわけにはいきません。現段階でも、人類がどのような未来を作っていくのかを考えることは重要です。

そこで、ラッセルさんは、経済学者とサイエンスフィクションの作家たちとでグループを作り、未来の社会について一緒に考える機会を作りました。

結果は、異なる2つの意見に分かれたということです。

1つは、「経済的なニーズに追われて働く生活ではなく、人間としていかにより良く生きるか、生きることの本当の価値や意味を追い求める人生」。この場合は、経済的な手段としては、UBI (Universal Basic Income)が使えるでしょうが、人々に余暇の時間をどう使うかを準備する必要があるでしょう。

このグループでは、「仕事の終わり」は「良いこと」です。

もう1つのグループは、ほぼ逆で、「本当の意味で人間であること、本当の意味での楽しみと達成感は、何らかの目的をもち、それを獲得すること。しばしば、障害に立ち向かいながら。エベレストに自力で上るのと、頂上にヘリコプターで運ばれるのでは大きな違いある」

どちらの観点を取っても、人間にしかできないインターパーソナルな仕事に従事するというのは一つの避けられない答えでしょう。もし、私たちが身体的、心理的なルーティンワークをしないとするならば。人工知能には、金づちで間違って指を打ったときの痛みや、自分の愛が必要とされないときの心の痛みは分かりません。これらの領域では、人間は、機械より大いに優位です。心理セラピスト、コーチ、ソーシャルワーカーといった職業、子供や老人のケアをする職業が該当し、しばしば「ケア・プロフェッション」と呼ばれていますが、これは誤解を生むものです。「ケア・プロフェッション」というと、患者は無力で誰かに頼る存在というネガティブな印象がありますが、ここでいう「ケア」とは、「人生そのものの芸術を完成させる」ということであり、頼ることではなく、成長することです。他の人々をインスパイアする能力があり、満足したり創造できること ーそれが何であっても ー アート、音楽、文学、会話、ガーデニング、お菓子を焼くこと、ビデオゲーム等なんでも ー は、今まで以上に求められるものとなるでしょう。

もし私たちの多くが上記のようなインターパーソナルな仕事に従事するとなると、収入の分配の疑問があがります。現時点では、例えば子供のケアは、賃金が低く、仕事もあまり尊敬されていませんが、部分的には、私たちがどう、この仕事をより良くできるかを分かっていないことにもあります。対照的なものとして、整形外科は賃金も非常に高く、仕事としても非常に尊敬されています。なぜなら、数世紀にわたる科学的なリサーチをもとにしたトレーニングがあり、実際に機能するからです。これは、high-value-added profession (付加価値の高いプロフェッション)と見なされますが、子供のケアについては、現時点では、そう見なされていません。これは、単に私たちがお互いの人生・命に恒常的に、予測できるやり方で、どう価値を与えるのかが分からない、ということでもあります。個々人は、非常に違っているということも一つの原因でしょう。私たちは、現段階では、どのように子供たちに読むことを教えるか、という基本的なことでさえ、合意に至っていません。これは、教育システムを見直すこと、科学的企業が身体的な世界ではなく、人間・人類の世界に注目する必要があるでしょう。奇妙にきこえるでしょうが、幸福は科学分野の中にある、というのは避けられない結論でしょう。

「仕事の終わり」を、「良いこと」或いは「悪いこと」として捉えたとしても、個々人を「賢明に思慮深く良く生きる」ことに備えさせ、高い付加価値をもったインターパーソナルなサービスに大きく基づいた人間の経済をサポートするために、サイエンスと教育に対して、本質的な方向転換が必要です。私たちの教育や、リサーチ機関を変えるのには、膨大な時間がかかります。そのため、今すぐ始めることが大切です。

私自身、イギリスやヨーロッパの大学生たちから、どういった職業を目指すべきかという質問は多く受けましたが、今の10代だと、30代終わりぐらいで世界は大きく変わっている可能性が高く、今までの「仕事」という概念さえ違っている可能性もあります。
だからといって、私たちが未来に対して無力だというわけではありません。
私たちが自分たちの未来を、より良くデザインできる機会でもあります。
自分の人生でやりたいこと、社会や人々に貢献したいこと、好きなことを極めつつ、変化に柔軟な対応をしていくことが重要です。

日本の場合、戦後数十年の短い間に形成された特殊な「受験戦争→いわゆる偏差値の高い大学→いわゆる良い会社に入り65歳くらいまでなんとなく働き、会社の年金・国の年金をもらって余生を過ごす」というのは、望んでいたとしても、難しいでしょう。ただ、そういった人生を多くの人々が望んでいるとは思えません。

変化はチャンスでもあります。
ロボット・人工知能が得意とするルーティンワークを素早く正確にするような仕事から解放され、人間らしい創造性や時間を楽しみ、他の人々と分かち合い、人々・社会に貢献しながら生きていく世界は、今のハイパー資本主義の世界よりも、優しく明るいものではないでしょうか。

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