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詩のようなナレーションや字幕が伝えるもの:障害当事者とつくり手が語り合う「感想シェア会」

アーティストのインクルーシブな表現について、障害当事者とともに考える「感想シェア会」が2021年2月19日(金)に開催。音声ガイドと字幕のついたバリアフリー版のコンテンポラリーダンス映像『n o w h e r e』を鑑賞したあとで、つくり手である湯浅永麻さんとともに作品について語り合い、レポート記事を執筆・公開する試みだ。参加者から作品や湯浅さん自身についての質問が寄せられ、湯浅さんがそれに答えていく形で、会は進んでいった。

タイムテーブル

自己紹介(30分)
感想シェア会(90分)
参加者によるレポート記事

・自己紹介|それぞれの障害を持つ当事者たち


感想シェア会は、簡単な自己紹介から始まった。それぞれが自分の持つ障害と、ダンスにまつわるエピソードを発表していく。参加したのは、アスペルガー症候群とADHD混合型の発達障害や弱視、動く光と強い光が見られないなどの視覚障害、右下肢障害など様々な種類の障害を持つ障害当事者6名。クラシックバレエを習っていた方や、サンバカーニバルに出演したことのある方、ミュージカルの育成機関に通っている方など、ダンスのエピソードも多岐に及んだ。TfAからもスタッフが2名参加した。

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・感想シェア会(作品解説)|映し出される星々とともに踊る

参加者が鑑賞した作品『n o w h e r e』をつくったのは、ダンサー・振付家の湯浅永麻さん。湯浅さんはオランダのネザーランド・ダンス・シアターでダンサーとして11年間活躍したのち、2015年にフリーランス・ダンサーとして独立した。それからは日本とヨーロッパを行き来しながら多彩な踊りで人々を魅了している。

今回の作品は、プラネタリウム・クリエイターである大平貴之さんとのコラボレーション。彼が開発したプラネタリウムマシーン「MEGASTAR(メガスター)」が映しだす星々のなかで魅せるダンスが特徴の作品だ。さらに湯浅さんだけでなく、イスラエルのダンスカンパニー「L-E-V Sharon Eyal|Gai Behar」に所属するダンサー・振付家の柿崎麻莉子さんも出演者として参加している。

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まずはこの作品ができるまでの経緯を、湯浅さんが語る。

湯浅さん「去年、コロナで予定していた仕事が全てキャンセルになりました。ダンスをしない時期が2ヶ月くらいあって、それが自分にとってとても新鮮でした。なので、私はまったく踊らなかったんです。けれどその期間が自分の本心を炙り出して、自然とまた踊り出していた。そんな時に東京のダンスフェスティバル『Dance New Air』という企画に誘われてこの作品をつくりました。今までになかった時間に感じた飽和状態の感情を記録という形にしようと思ったんです。もう一人のダンサー・柿崎麻莉子さんは妊娠中でしたが、その変化も記録出来た事は偶然でしたが女性としての変化や、生と死についても触れられ、作品に層を与えてくれました」

参加者から「コロナ以降のオランダで受けた影響をどこまで自覚的に盛り込んだのか?」という質問が出ると、湯浅さんはこう答えた。

湯浅さん「奇跡的に美しい天気で、自分の周りを散策し始めたのがすごく充実した時間でした。息苦しいこともありましたが、私にはすごく開放感があって、日常のゆるやかな美しさを感じた毎日でした。そういうところはダンスに出ていると思います。また、コロナの間にBlack Lives Matter(BLM)がありましたよね。私のダンスの最後の方のソロの部分で激しく踊り出すところがありますが、そのインスピレーションになったのは、BLMの渦中に見た一人の女性のインタビュー動画なんです。“whatじゃなくてwhyを見てほしい。何が起こっているかじゃなくて、どうして起きなければいけなかったのか”と、身体全体で訴えていて、今もまだ届かない腹立たしさが感じられた。伝えたいことがあるのに伝えられないことは自分にもたくさんあったな、と思うとイメージとリンクしてシーンが生まれたんです。なので、自覚的にオランダでの生活やコロナの状況下で起こった様々な事柄の影響は盛り込んでいますね」

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湯浅さんがコロナ禍に公開した動画「Let’s Go For A Walk 28.05.2020」。オランダでの日常の美しさが表現されている。

・感想シェア会(参加者との議論)|つくり手としてのバリアを解き放つ


湯浅さんは作品の音声ガイドを自身で担当している。それについて、意図的だったのか?という参加者からの疑問によって、しばし参加者と湯浅さんの議論が繰り広げられた。

湯浅さん「アクセシビリティを広げる作品と言われた時に、難しいなと思いました。ダンスを説明するということはダンサーでも難しく、お客さんに委ねるべきで説明をしすぎるのはナンセンスだという風潮もある。でもこの企画に参加してモニター会をやった時に、自分のなかのつくり手としてのバリアはこの傲慢さなんだと思ったんです。それで音声ガイド的なものをつくろうと考えました。私はいつも作品をつくる時に、絵を描いたり、簡単なビデオをつくってスタッフなどに説明するので、これだ!と。状況説明的なものは必要なところだけに入れて、入れる時もものすごく自分の視点での音声ガイドにしようと思いました。状況説明というよりもつくり手から見た感情の流れなどにフォーカスした、音声ガイドというか、映像は観なくてもいい“音声作品”という風にしたかった」

TfAスタッフ「世の中のいわゆる音声ガイドではなかった場合に、視覚障害者はどう楽しめばいいのでしょうか?」

視覚障害を持つ参加者「良い音声ガイドとだめな音声ガイドがある。例えば山田という人が扉を開けて入ってくるシーンの場合、『山田、扉を開けて入ってくる』がだめで、『山田、不安そうに』が良いガイド。扉を開ける音は絶対にするから。重要なのは山田がどういう顔や表情をしているのか、どういう立ち姿をしているのか。そう考えると、この作品の面白さは1割も掴めなかったのではと思いました」

本作品の場合、音声ガイドというよりはダンサーの“吐露”付きと表現した方が適切だという。「詩のように音を楽しんでください」など、前提となる説明の仕方が変われば楽しみ方も変わるのではないかという結論のもと、この議論は幕を閉じた。
※ここでの意見交換を踏まえて、湯浅の「吐露」は音声ガイドという表記ではなく、ナレーションに変更した。

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最後に、参加者が湯浅さんと一緒に実際に身体を動かしてみるワークが行なわれた。まず手や頭を動かして、存在している空間にどれだけ自分が占拠しているかを感じていく。息を吸えば自分の外の空間のものが中に入っていき、吐けば外に出ていく。こうして行き来を感じ取ったら、次に自分の身体にゆっくりと手を這わせていき、触っている方、触られている方の部位の動きを感じる。自分の身体のなかの感覚に耳を澄ませ、自分が存在していることの凄さを感じる時間がゆっくりと過ぎていった。10分程度と短い時間ではあったが、『n o w h e r e』からも感じ取れる、一瞬一瞬を大切にするという湯浅さんの生きる姿勢が反映されたワークだった。

こうしてワークショップは終了した。紹介したやりとりのほかにも、湯浅さん自身の性質についてや、ダンスを始めたきっかけなど、興味ぶかい話題が数多く登場した。なかでも湯浅さんの「表現のボーダーの垣根を曖昧なものにしたいので、今後はダンスでない作品をつくるかもしれません。自分がまだこんなにもバリアがあるんだと気付かせてもらって、試行錯誤する機会をいただけて嬉しかった」という言葉が印象的だった。アクセシビリティに対する難しさが垣間見える場面もあったが、むしろその難しさが作品のクリエイティビティを高める可能性も見えた有意義な時間となった。

・参加者によるレポート記事|つづられた「自分と作品」

ワークショップ後、参加者によって執筆されたレポート記事には、それぞれの視点から作品とワークショップに向き合ったプロセスが語られていた。〈全てレポートは記事末尾のリンクから〉

「まさか視覚障害のない方が、同じ音声解説付き作品を見ていたとは思ってもみませんでした。ダンス経験のある方の場面や踊り方の解説が的確で分かり易かったです。こういう方と一緒に自宅で解説してもらいながら見るとか、ちょっと広めのスペースで、一緒に動作を教えてもらいながら見られたら楽しいかもしれないと思いました」

「感想シェア会の最後の数分で、湯浅さんのレッスンを受ける機会があった。〈中略〉これまで受けてきたクラシックバレエの訓練においては、目を閉じて踊ることなど考えられなかったので、『感じるために目を閉じる』という行動をみずからとったことに驚いている。よりよく感じて踊るために視覚がじゃまになる、という経験は新鮮であった」

「全編通して私は『この一年に対しての悲しみや苦しみを乗り越えるために自分と向き合った』人のおはなしだと感じました。ですが感想共有会で『すごく楽しそうに感じた』と複数の方がおっしゃっていたのを聞いて驚いたのと同時に、自分はどうしてそう感じたのかと振り返って考えるきっかけになりました」

人が、同じ作品を通じて感じることは様々だ。実際、湯浅さん本人による独自の音声ガイドに対して、「通常の音声ガイドがあると期待してしまった」と批判的なスタンスの参加者もいた。ただ、今回の感想シェア会の場で明確になったのは、その違いこそが新しいアクセシビリティの種となることだ。作品をつくった湯浅さん本人、そして鑑賞した人の意見が重なり合うことで、見えなかった「バリア」があらたに認識されたことが価値なのだ。

参加者のレポート記事
https://kulukku.net/2021/03/26/nowhere/
https://mushalabo.com/news_blog/nowhere/

■ この記事は、令和2年度戦略的芸術文化創造推進事業『文化芸術収益力強化事業』バリアフリー型の動画配信事業によって制作されました。

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