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〜〜〜ABYSS立ち上げ物語〜〜〜第1話「バカは強い」

2018年9月22日(土)

師匠「団体を立ち上げてみませんか?」

弟子「はい!やらせてもらいます!!

....念の為詳しくお聞きしてもいいですか?......」

このやりとりがすべての発端となりました。

これは僕が勝手に師匠と呼んでいる方との
やりとりですが、
この当時からこの方に対して
「いいえ」
という選択肢を持ち合わせていませんでした。

すべては「ノータイムのはい!」

実際には前情報がもう少しあった気がしますが、

「ノータイムのはい!」

の前には理解する時間などありませんでした。

やると言ったからには中途半端な事はできない!
とは言ったものの、
なんの知識もない僕は

・何からすればいいのか全くわからない。
・いくつかアドバイスをもらったハズなのに
 殆ど理解できていない。

というヤバめなスタートを切りました笑

活動開始まで期間は約半年
これが何を意味するのかは
よくわかりませんでしたが、
「恐らく短いんだろうな」
という事はなんとなく理解していました。

今思えば何を根拠に
半年と決めたのかもかなり怪しいところです...

ヤバめなスタートを切った
このプロジェクトですが、
この時の僕には画期的な考えがありました。

「ジュニアバンドと社会人バンド両方作って
エスカレーター式にすれば
みんなマーチングできるじゃん!」

...何も知らないからこそ言える
とんでもない発言でした。

この時の僕には
自分の言っている事に
どれほどの苦労が伴うか
想像するだけの頭が足りなかった様です笑

その当時、熊本県にも部活縮小の流れが来ており、

「今の時代に必要なのはジュニアバンドだ!
地域のジュニアバンドを作れば
熊本の子どもたちも
マーチングを続けることができる!」

と熱く語っており、まずはジュニアバンドから
立ち上げることにしました。

結論から言うと
この考えは現在も変わっていません。
手を替え品を替え、
長期的な計画を立てて進行しています。
ABYSSの誕生には
このジュニアバンドの話は
欠かすことができませんので、
しばしお付き合いください。

とりあえずやれることからやっていこう!
というスタンスで動いていたため、
本当にやらないといけない事はぶっちゃけ
ほとんど進んでいませんでした。

この時点で

・人
・楽器
・場所

という明らかにメインとなるこれらの準備
ほとんど進んでいませんでした。
(逆に何をしていた?)

そしてある日当然の様に行き詰まりました。

その間にも月日は経ち 気づけば
残された期間は3カ月となっていました。

「やれる事は思いつく限りやり尽くしたのに
ほとんど前進していない...マズイ...」

という焦りは結果的に
とても大事な事に気づかせてくれました。

「これは1人じゃ無理だ...」

団体を立ち上げる話は色んな方に
相談していましたが、

ここまで
何故かすべて1人でやろうとしていました。
今でも不思議です。

そしてある人に泣きつきました。

「お願いです。どうか力を貸してください...」

この時快く引き受けてくれたのが
現在もABYSSの広報スタッフとして
運営に関わってくれている海月さんです。

遂に僕以外の関係者が登場した瞬間ですw

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1人→2人というのはすごい事で、
「50人のバンドが100人バンドになる」
ぐらいの変化がありました。

最大の変化は
「仮に僕が倒れても企画は倒れない」
と言う安心感です笑

海月さんの加入でこの後
メンバー募集に踏み切ることができ、
プロジェクトは大きく動き始めました。

そして1ヶ月後、
体育館で土下座する事になります...

この時点では
まだABYSSは影も形もありませんが、
ABYSSの基礎となる構想が生まれ始めたのは
この辺りからです。

次回 〜ABYSS立ち上げ物語〜

第2話「ジュニアバンド誕生?」


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