隣の芝が蒼すぎる

隣の芝は青い。

これは人間の貪欲さというか欲望を表す、絶妙なことわざだと思う。

わたしは個人的にも、そして他人から見ても隣の芝がすごい青いらしい。
他人が持っているものは羨ましいし、それを手に入れるために努力をするその貪欲さは自分の長所だとは思うが、自分には見合わない庭をみて羨んでいることがよくある。

そして自分で行動するものの空回りして反省することも度々ある。

ここまでくると自分らしさとはなんだろう、と考えてみても思いつく言葉が見当たらない。

そして先日姉と話していた際

「隣の芝は青いね。それで自分の芝生はどうなの?」

と聞かれた。自分は返答に窮し、何もいうことができなかった。

かろうじて絞り出した答え。

「自分の目にはサングラスがかかっている。特定の色しか見えない。緑かどうかはわからないが、赤ではないことだけはわかる。」

隣の庭を眺めてばかりで自分の庭の手入れをしてこなかったことに初めて気がついた。

自分の庭の色を自分の興味や進路に置き換えて考えてみた。

わたしはいま自分が何をしたいのか、将来の進路について悩んでいる。このまま医学を勉強し国家試験を取るのか、それとも新しい道を見つけるのか。これがきっかけで色々な人と話すようになったし、自分の学部以外にも興味が広がった。

しかし今まで自分は新しいことにしか興味を示してこなかった。色々挑戦してあれも違う、これも違う、選択肢をどんどん消していく作業を行なっていた。

これはサングラスのフィルターを変えて、赤でもない、黄色でもない、紫でもない、と順に試している作業とも言えるだろう。

「でもなんで自分の目にサングラスがかかってるか考えた?それを外そうとはしないの?」

他人からのアドバイスをふまえて現在の学部に入ったものの、最終的にそこに進むことを決めたのは自分だった。このことを忘れて自分は、

今まで自分で自分の進路を決めてこなかった。

ただこれだけを考えて違うことに興味を向けていた。

他の進路に悩んでいた際、医学に対する興味が失せることはなかった。
建築に興味を持った時はアメリカにある病院を核とした街に興味を持った。発展途上国支援を考えた時は衛生面から考えていた。アートに興味を持った時はカラーセラピーなどの医療とアートの融合に興味を持った。

ここまで気づいていたのに、どうして自分は医療の道を辞めたがっていたのだろう。

今までやってきたことは医学を諦める理由探しをずっとしていたように思える。

どうしてこんなことばかりしていたかはまた今度考えてみようと思う。(今日はとりあえず疲れた。笑)

ここで一つ決意。

自分の芝生は緑にしかならないことをきちんと心に留めて、そこに池を作るにしろ、お花を咲かせるにしろ、まず青い芝生を生やしてから改良を重ねていこうと思う。

まず自分の医学への興味を認め、またそれを極めることができるん場所にいることも理解した上で、それ以外にも同時並行で自分の強みとなる分野を見つけて自分を磨いていきたい。