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シルクに魅了され、シルクを愛した人物

今泉雅勝(いまいずみまさかつ) 日本野蚕学会 副会長/アトリエトレビ主宰
絹を扱う世界では、「東に今泉あり」と言われるほどのシルクについての造詣が深く、絹を扱って50年。
日本のフォークロア文化を作った人物。
略歴
昭和41年 早稲田大学政経学部卒業

昭和41年 東一東京青果(株)(神田市場)入社 加工食品担当

      ハウス野菜の繊維質、各種ビタミン等の激減に驚嘆

昭和46年 原始美術の研究の為、南太平洋(ハワイ〜ニューギニア)の 離島を調査。テーマ:人間にとって美とは何かを探求しシルクに出会い、帰国。
以来シルクを愛して半世紀を過ごす。

今泉雅勝の絹との出会いについての話

私と絹との出会いは終戦間もない小学低学年の頃、木綿綿の打ち直した布団に真綿を「シュー」と引き延ばして被せる作業の手伝いや、母親や祖母が裏庭の陽だまりで和服を解いて水洗いを済ませた幾つにも別れた生地を、それように加工された大きな長い板に空気が入らないように丁寧に撫でている姿でした(洗い張り)。それが乾いて板からめくり取るのは子供の仕事で、「スー」という微かな音と共に新品のようになった柔らかくて張りがあり、シワが無く、僅かな陽だまりの匂いを感じながら満たされた気持ちになったものです。

中学生になった頃、母の姉が離縁して母の元で暮らすようになり、朝夕の勝手仕事を手伝うかたわら、向かいの小さな一軒家で和裁の仕事をしていて、伯母の空き部屋で勉強すると言って伯母の家に行き、勉強せずに、糸を針に通す前に張った絹糸を長く引いて「ピンピン」と音を立てたり、火鉢に入れてあるコテをほほに近づける仕草を夕刻まで眺めていたのが私と絹との出会いの始まりでした。

通学路の途中には桑畑があちこち点在し、桑の実も子供の格好のおやつでした。養蚕農家もあり、世はガチャマン景気で路地から威勢の良い杼の音が響いていました。今思えば教えてもらうわけでも習う訳でもない貴重な体験で「百聞は一見にしかず」「門前の小僧習わぬ経を読む」そのものでした。こんな細やかな経験が私を野蚕絹屋にしてしまった遠因かもしれません。

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